早いものでもう7月です。2011年も半分過ぎたわけで、今年も半年切りました。
先月から雨、雨、雨、大雨、大雨続きで、梅雨らしいといえば梅雨らしいのですが、7月に入っても雨、雨、雨なお天気。
そんなこんなで昨日は7月1日金曜日。武蔵ヶ丘道場(武蔵ヶ丘コミュニティーセンター)の練習日でした。練習場所の武蔵ヶ丘コミュニティーセンターには、毎年恒例な七夕の「笹飾り」があり、テーブルには短冊が置いてあって自由に記入し、笹飾りに付けられるようになっていました。
もうそんな季節か・・・
と思ったわけですが、七夕の由来については、過去記事で軽く書いているので引用します。
今日は七夕ですね。別名「乞巧奠」。「きこうでん」と読みます。
女性が針仕事の上達を願う祭が「乞巧奠」。これに豊作を祖霊に祈る祭がミックスされて「七夕」になったとも。
マ、この時期は小学校の体育館であったり、庭先であったりと竹に願い事を書いたお札を吊す「笹飾り」が目につく時期でもあります。
引用した過去記事は、記事冒頭だけ七夕な話なんですけどね。
2007年、2008年と7月7日に記事を投稿していたりする。
七夕伝説は色々あって、日本だけではなく中国とかにもあって、本当いろいろで、それがミックスされたりしているので、自分が知っている七夕のお話がどこでも通じるかというとそうでもなく、でも「織姫」と「牽牛」のロマンティックなお話の基本は押さえておきたいわけで、大人になり、
「織姫と牽牛のお話って、ロマンティックというよりも、ある意味、悲恋物語じゃ?」
とか思うのですが、そう思うようになった時から、おそらく人は、何かを失い始める・・・
とか思ったりしたり。
ちなみに、
「天衣無縫」という言葉がありますね。「てんいむほう」と読みますが、
意味は「天真爛漫(てんしんらんまん)で飾り気のないこと。あけっぴろげで物事にこだわらないこと」として使いますが、もうひとつ意味があって、こっちの意味の方が元々の意味なのですが、
天に住む天上人の衣服には縫い目のあとがないことから、
「詩や文章などに、技巧のあとが見えず自然であって、しかも完全無欠で美しいこと。また、そのさま」
という意味があります。
芸術に使う言葉だった「天衣無縫」という言葉。
なぜ、突然「天衣無縫」という言葉を出したかというと、この天衣(天上人の衣服)と七夕が関係あるからです。
誰の天衣かというと「織姫」のやつ。
中国の古典に『霊怪集』という書物があるのですが、その中に出てきます。
簡単に書くと、
教養豊かな好青年(「かくかん」という若者)がいて、彼は、はやくに両親を亡くしひとりで住んでいたのですが、ある日、天から人が降ってきた。
目もくらむばかりの美しい娘で、これが「織姫」。
この時点での「織姫」の夫は「牽牛」。
んで、「織姫」が「夫と別れて久しく、契りも途絶えて久しいので悶々としている。ついては、わたしと契って欲しい」と好青年お願いし、好青年も「存外のしあわせに存じます」とその申し出を受け、もう毎日毎日食べるいたす寝る。
さすがに好青年も「あなたには「牽牛」という夫がいるのですが、こんなことをしていいのですか?」と「織姫」に尋ねるわけす。
すると、「織姫」はこう答えます。
「あの人には関わりのないことですわ。それに天の川で隔たれているのでわかりません。わかったとしてもどうってことない」
と。
凄いぜ織姫!
七夕の時期になると「織姫」は四五日いなくなるけど、また戻ってきて、やはり毎日食べるいたす寝る。
そんな生活が一年も続いたのですが、天帝からの許可(地上にいる時間)が一年だったので「織姫」は天界に戻ります。
好青年は抜け殻状態になり、子孫を残すために妻をめとりましたが夫婦仲は悪く、子も出来なかった。
という、なんとも悲劇的な、男性にとっては悲劇的な結末のお話です。
つうか、
ロマンティックのかけらもねぇ!
「織姫」浮気性なだけじゃん!
ってなことですが、この話しの中で、織姫が来ている衣装を見て不思議がっている好青年に織姫が説明する場面があります。
「天上の衣は針や糸を使って縫うものではないのです」
と。
これが「天衣無縫」の語源。
そういう伝説もあるわけで、けっこう古典って、こう生々しいお話が多く、ギリシャ神話とかもうそういう話だらけなのですが、ある意味「織姫」に人間性というか女性の性(さが)を見るわけで、これはこれで古典な伝説の一種ですが真理でもあるナ、と。
ちょっと大人向きのお話でしたが、そういう話もあると。
そうそう、
先に「天衣無縫」の現在使っている意味として「あけっぴろげで物事にこだわらないこと」とありますが、この『霊怪集』の織姫の話を知ると、織姫の行動がまさにこの意味の「天衣無縫」なので、意味としては合ってるよナ、と思えるから不思議だ(笑)
んで、
子ども達にとっては、七夕ってのは、天の川を挟んで「織姫」と「牽牛」が一年に一度の逢瀬を楽しむロマンティックなお話なわけで、竹飾りに願い事を書くイベントだったりします。
「逢瀬」って、ただ会うだけじゃなかろう(笑)
と思ったら、あなたは汚れた大人(笑)
でもですね、先の『霊怪集』の織姫のお話だと、織姫が「契り」について好青年に説明している場面があって、「天上の契りは地上の契りと違って『心の交わり』」と言っているので、
あながち、
会うだけで間違いではない。
そんなことはどうでもよくて、
武蔵ヶ丘コミュニティーセンターにある竹飾りに願い事の短冊を付けるため、ケイゴ、ユメト、ゲンキは練習後に短冊に願い事を書いていました。
ケイゴは、
「空手が強くなりますように」
と書いていました。
ユメトは、
「いい人になれますように」
と書いていました。
いい人ってなんだよ!
今、ユメトは悪い人なのか?
ゲンキは何を書いたかわかりません。
既に竹飾りに結びつけてある短冊を読むと、
「逆上がりができますように」
とかあって、子どもの切実な願い事だらけでした。
そんなこんなで、
ある意味ここから本題なのですが、「いい人になりますように」とお願いしたユメトは、実はとんでもないリアルな芸を持っています。
凄い芸です。
どんな芸かというと、
リアルなオナラ音を出すことができる。
という芸(笑)
もちろん、お尻から出せば、それは単なる「屁」なので違いますよ。
脇の下に手を入れて、そこから超リアルなオナラの音を出します。
爆笑しました。
超リアル!
なんつうんでしょうか、ちょっと湿った、お腹の調子が悪い時の、トイレに行って「大」をする時の一発目に出る、
あの音(笑)
とりあえず、見てください。
ここまでリアルである必要はないのですが、もう何度聞いても爆笑します。
もう連発してました(笑)
ユメト凄いよ。
ポイント上がった(笑)
辛いときや苦しい時は、ユメトに、この芸をやってもらおう。
ってなことで。