マンツーマン指導と内弟子時代!の巻

内弟子3年終了の盾空手の練習方法というのは、概ね団体練習で、ひとり又は複数人の指導者が大勢の道場生に指導する形式をとっています。

このため、基本的に、手取り足取りな指導は物理的にできないのですが、団体練習中に個別に指導者が個人に対して注意したり指導したりはします。特に初級者は。

ボクシングとかだとトレーナーがマンツーマンで指導をしたり、空手でも特別練習や選手コースなどでは、これに近い指導方法をとりますが、通常稽古は団体練習形式。

デ。
そんな団体練習形式な空手ですが、井上道場で唯一マンツーマン指導をやっていたのが戸島教室。

井上雄一朗と私が直々に、1対1で指導をしていました。超贅沢な稽古ですよ(笑)

マンツーマンというのは「1人の者に対し1人が対応すること」という意味で、戸島教室では通常稽古でもマンツーマン。それも井上雄一朗と私が。

手取り足取り・・・

それは、道場生が二人しかいなかったから(笑)

井上雄一朗がある日「あれですよね、戸島は自分と先輩のマンツーマン指導なんで、そう考えると超ぜいたくですよね(笑)」と笑いながら呟いていました。

なぜ贅沢なのか?

それは井上雄一朗と私のマンツーマンだから。

なぜマンツーマンだと贅沢なのか?

それは、いまは井上道場という看板ですが、井上雄一朗や私が学んだ会派の熊本道場では、井上雄一朗も私も内弟子だったから。

そして内弟子時代に教えを請うた先生は、以前も書きましたが本部内弟子出身のI先生とK先生。つまり、井上雄一朗や私は、以前所属していた会派の創設者の内弟子だった指導者から、空手のイロハを徹底的に学んでいるというわけで、ある意味、熊本においては、その会派系のどこよりも保守本流な道場だったりします(笑)

熊本では、I先生とK先生しか、その会派の空手を知らなかったわけで、その先生らは創始者から学んでいるわけで、両先生は短い期間(とはいっても数年間)しか熊本で指導されていませんが、その間、もっとも学んだのが我々内弟子。

当時学生でしたが、一般部とかの人は誰に学んだんでしょうか?

I先生もK先生も一般部にも指導されていましたが、あの当時、特にI先生の内弟子特別稽古を経験したのは、今では私と秋岡塾の秋岡塾長だけになってしまいました・・・

私個人でいうと、空手を始めた頃に学んだY先輩とK先輩も敬愛する指導者です。体の小さかったY先輩とセンスの塊だったK先輩には、当時中学生だった私を可愛がって頂きましたよ。怒られもしましたが(笑)

以前所属していた会派の一期生だった私は、年上の人には「さん」付けですが「先輩」と付けて呼ぶ方は少数。いまでは自道場を構え指導する立場の師範方もたくさんいらっしゃいますが、先輩じゃなく同期なので「さん」付け。

なので、私が「先輩」と呼ぶ空手関係者はY先輩やK先輩含め少数なわけです。

閑話休題。
内弟子時代には色々なことをし、熊本市内から郡部への指導、他県(大分)への遠征や指導、など、マ、雑用がメインな時代でしたがI先生とK先生から個別に色々と指導してもらったので、今となっては自分の財産になっています。

井上雄一朗も二期生くらいで入門したのでI先生やK先生の教えを受けている貴重な世代の道場生で、かつ内弟子の後輩だったので私も指導しています。

当時空手はへたくそでした(笑)

へたくそでしたが、彼は努力した。

運動神経が良く、ガッツもある井上雄一朗ですが、彼は努力しました。

内弟子時代は、先輩である我々の練習相手です。ということは、もうサポーターとかない時代だからガンガンやられるわけです。

頭も良かったので、色々自分で工夫し稽古していました。

後輩の内弟子は井上雄一朗や山浦淳仁を含め、なぜかみんなへただったのですが、努力する才能に恵まれた者ばかりで、みんな一生懸命努力していました。

凄いやつらだなぁと。

井上雄一朗が最初のウエイト制大会に出場する前頃だったと思うのですが、練習場所がなく、私の自宅駐車場で稽古をやっていました。(以前も書きましたが、高速道路の高架下とか色々なところで稽古していた頃。なぜ熊本に稽古するところがないのかは、それは岩見師範にでも聞いてください(笑))

スパーリングをやって、はて?と。

隙がないぞ。

まだまだこいつには負けないのになぁ・・・と思っていても、なんか感触が違います。

スパーリングをとめて、「ちょっと構えてみて」と言います。

井上雄一朗がファイティングポーズをとってふつうに構えたのですが、どこにも隙がない(笑)

あ、あれ。こいつ強くなってる!

努力した結果が、ここにきて出てる!

もう敵わないなぁ・・・

スパーリングは対人稽古で、技の繋ぎであるとかタイミングであるとか、相手がいての稽古なので、自分より少し強いか、少し弱い相手とするのが一番練習になるのですが、なんとか、井上雄一朗より少し弱い相手として当時練習に付き合うことができました(笑)

それから、さらに彼は努力しました。

組手の技術、特に大会においてのテクニックは日々進化します。

10年前20年前30年前の大会の映像を見るとわかりますね。ルールが若干変わるという要素もありますが、概ね、大会を重ねるごとに技術というのは進歩します。

その進歩に合わせ、井上雄一朗も努力したわけで、実力をつけてきた。

その最初の段階を知る私です(笑)

そんなこんなですが、組手の技術というのは、空手のいち要素に過ぎません。過ぎませんが比重はとても高い(笑)

空手をやっているわけで、ジムではないので、大会や試合以外の空手本来の技術も重要、ということを言いたいわけです。はい。

ジムと勘違いしているエセも多いですからね。

さて。

先に、へたくそだった、と書きましたが、昨年、代継橋道場に行って、空手を指導する井上雄一朗を見て思いました。

よくぞここまできた!と。

見事な空手の動きでした。

あの内弟子当時の片鱗はなく、I先生を彷彿させる空手の動き。

どれだけ努力してきたんだろう・・・と、そう思うと、他人からは見えないなにかが見えるようで、正直涙が出そうになりました。

昨今、試合用の練習だけさせて、先を見据えた空手本来の稽古を指導できない指導者や道場が多いですが、井上雄一朗の動きをみて、「井上道場だけど中身は保守本流じゃん!」と思ったのは内緒(笑)

井上道場は「空手」の道場だな、と。

おそらく、私と同門のHやIやCに話せば落涙ものでしょう(笑)

内弟子時代について書こうと思っていましたが、なんか違う方向になってきたようです。

内弟子で思い出しましたが、おそらく、これは私だけしかもらっていないと思うものがあります。

内弟子3年終了の記念盾です。

内弟子は3年間という期間が決められていたわけではなく、私も3年以上内弟子やってましたが、ちょうど高校卒業と重なった時期に熊本県で初めて帯別トーナメントという、まぁ内部試合なんですが、そういう大会があったので、当時高校生で唯一の茶帯だった私は高校生の茶帯カテゴリがなかったため、試合に出れず、

工エエェェ(´д`)ェェエエ工工

とダダをこねていたのですが、「じゃあ卒業記念に盾でもください!」と言ったら用意されてあったもの(笑)

なんでも言ってみるもんだなぁ、と。

極真館本部直轄菊水道場責任者である木下先生が自宅に遊びに来た時に、この盾を見つけて「先輩、内弟子だったんですか!」と驚いていましたが、木下先生に教えていた頃も内弟子だったじゃねぇかよ!と(笑)

内弟子終了の盾 プレートには名前と会派があります。モザイクしてますが(笑)
(左側に映っている盾は、熊本県初のフルコンタクト空手団体戦の優勝盾。優勝したんですよ!でも内弟子の盾より、かなり小さい(笑))

私以外にも貰った方いますかね?

いないでしょ(笑)

そんな出費のかさむことはしないはず(笑)

私も、よく貰えたなぁと当時思いましたよ。おそらく、事務局で、「じゃあ、卒業記念に盾でもください。高校生活最後の内弟子なんで」と言ったら事務長が「それいいわね!」と賛成してくれたからと思っています。

「彼、ずっと頑張ってきてくれたから」と。

そのとーり!

一部の関係者だけ爆笑するとこですね(笑)

思ったより大きい盾で、よくもまぁ、こんな大きな盾を奮発したなぁと思います。帯別トーナメントの表彰式が終わり、これでイベントも最後ってところで私の名前が呼ばれ「内弟子3年終了!」と読み上げられ授与されました。

これ、映像残っていますよ(笑)

合同練習時だったので何百人かいる前で、授与後、みんなに高々と盾を掲げる私(笑)

盾で思い出しましたが、内弟子の盾よりも、さらに大きな盾があります。この盾がもっている盾の中では一番大きいやつです。

そして、井上雄一朗も同じ盾を持っています(笑)

なぜか?

それは、井上雄一朗と私が出場した最初で最後の大会で頂いた盾だから。

入賞の盾じゃありません。当時指導指導指導で稽古できなかった私は、思うところもあって、半分やけっぱちで大会に出場したのですが、準決勝を前に敗退。これは想定内で、一回戦は勝てないかもと思っていたらシードだったので二回戦から。

そしたら二回戦で相手を上段後蹴りという珍しい技でKOしちゃって来賓の創始者が「ぎみぃ、すごがったよぉ」と直々に声をかけて頂いて、ならばと三回戦も調子に乗って、後の九州チャンプを前蹴りで一蹴し、準々決勝に臨みましたが、そこでボコボコにやられました(笑)

準備しないで大会に出ると、こういう結果なるといういい見本です。

思うところがあったので、あーすればよかったこーすればよかたというような後悔の念はなく、最後のお務めも見せ場作ったのでいいだろうという寂しさが入り交じった気持ちだけ・・・

井上雄一朗はというと、公式戦の初陣。バリバリに稽古して、この選手だけはやっつけると想定していた大分のU選手と初戦で対戦。

井上勝った!と思っていたら、反則負け(笑)

それでも半年前までは圧倒的に格上だったU選手に互角以上の勝負をし、微妙な判定で反則をとられなければ勝っていた試合内容で、彼の努力の歴史の始まりの試合でもありました。

そして、私の最後の試合・・・

そんな井上雄一朗と私がもらったのが、スポンサー賞であるRKK賞。

盾がでかい!

思い出のRKK賞

私は大会中に主審として来熊していたK先生から「おまえ、賞あるから」と声をかけてもらっていたので、最後の入賞者記念撮影には写っていますが井上雄一朗はいません。

なぜなら・・・大会が終わってから「井上はRKK賞」と教えてもらったから(笑)

でも、翌日の新聞には井上雄一朗と私の名前がRKK賞として載っていたんですよね。

「これが一番でかいよ」
「そうですよね」

と、今でも話すRKK賞の盾です(笑)

そんな井上雄一朗の弟子たちが、大会で活躍する・・・

風のようです。時は風です。

あ、マンツーマンな話でしたね。戸島教室の。

熊本県で、どこよりも創始者のDNAとリベラルなDNAを受け継ぐ井上道場ですが、戸島教室では、井上雄一朗と私のマンツーマン指導でした、と過去形で書いています。

なぜなら、戸島教室の道場生が増えてマンツーマン体制が終了したから(笑)

超贅沢体制での指導は終わり、他の道場同様団体練習やってます。

たまにはユウスケや光やエムも戸島に来てよ!

小さい子ばかりで、お兄さんお姉さんの空手を見せてやりたい。

さぁ、今日は武蔵ヶ丘道場の稽古だ!


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