ティーンエイジャー!の巻

てーんえいじゃー今日から7月ですね。2009年も半分が終わりました。はやいですねぇ。

そして、今週は雨、雨、雨なわけで、この記事を書いている最中も外は雨です。

梅雨まっさかり。

そんなジメジメした日々なのですが、「若い!」ということについて考えてみる。ティーンエイジャー(teenager)、ティーンとは若者を指した言葉ですが、今現在そうな人も、かつてそうだった人も、誰もが通り過ぎる時期。

ティーン(teen)とは、英語でteenが付く13から19までの、つまり13歳から19歳までの若者を指す言葉ですが、確かに11はイレブン(eleven)で12はトゥエルヴ(twelve)と発音するので、teenが付くのは13(thirteen)から。

そして20はトゥエンティ(twenty)なので、やはりteenが付くのは19(nineteen)まで。

13歳から15歳までを「ローティーン」と呼んだり、16歳から19歳までを「ハイティーン」と呼んだりしますが、これは和製英語だそうです。

昔、『ハイティーン・ブギ』って漫画ありましたけど、これアメリカ人に言ってもよくわからないってことですね(笑)

「プチ・セブン」でしたっけ?連載されてたの。最後に桃子死んじゃうんですよね。病気で。

そんなことはどうでもよくて、英語圏だと、それぞれ「early teen(s)」「late teen(s)」と表現するそうです。

へぇ。

デ、まぁ、ティーンエイジャーの特徴として、

・心境が不安定で、悩むことが多くなる。
・自我の形成される時期で、親への反抗や人見知りをする時期である。

らしいのですが、光なんて小学生の時から悩み多き子だったし、ある意味不安定だったし(笑)

エムは人見知りしていたし。

あんま関係ねぇんじゃね?とか思ってしまいますが、ある時期からダイヤが変わってきたので、なるほどなぁと思ったり。

そんなこんなで、和製英語で言うところの「ローティーン」がだいたい中学生くらい、「ハイティーン」が高校生くらいなんですが、体も心も成長する時期なので、色々なことにチャレンジし、成功しようが失敗しようが、何度でもやり直しができる時期でもあります。

このなんでも吸収しちゃう時期を無駄に過ごしたらもったいないですね。二度と再び戻らぬ日々なので。

振り返ってみると、ご飯をたくさん食べたり、本を信じられないくらい読んだりしていた時期で、かつ空手に日々を過ごしていた日だったのですが、「ハイティーン」の17歳な頃は、これは誰もが光っていた頃だと思います。

ってなわけで、井上雄一朗が17歳の頃。

井上雄一朗17歳

変わってないですよね(笑)

これ、大会のパンフレットの画像です。

昔は高校生の大会でも(一般部と併設されてはいましたが)、こんな感じで大会パンフレットには顔写真と氏名、年齢、修行年数、段級位、出身地が載っていたんですよ。

今でも全日本クラスの大会や一般部だけの大会では行っていますね。

過去記事に何度も書いていますが、17歳の大会ということで、井上雄一朗が内部試合ではない公式戦に初めて参加した時の大会です。

ページをめくると、私の写真もあったりします(笑)

今みたいにデジカメとかない頃なので、昔懐かしい三分間写真で撮影したものでしょうか?

よくスーパーの横などに設置してありましたね。今だとそれもデジカメになって三分間も待たなくていい(笑)

内部試合を除くと、オープンな公式戦に出場したのは17歳な井上雄一朗。私も初出場は17歳でした。ということは、秋岡塾の秋岡塾長も同じなわけで、当時は内部試合すらなかった頃ですから、大会に出場するチャンスというのは、もう限られた道場生しかものにすることはできませんでした。

ということで、秋岡塾長17歳の頃。

秋岡塾長17歳

熊本県で初めてオープンなフルコンタクト空手の大会が行われた時のもの。この次のページに私の写真がありました(笑)

大会の様子は過去記事に書いていますが、それまでは、いちお内部試合的なものが一度だけありました。私はまだ中学生で秋岡塾長や井上雄一朗の入門する前の話。

岩見道場の岩見師範と当時のことを話したのですが、岩見師範出場していたんですね(笑)

わたし、裏方でストップウォッチ係やっていたのですが、全然気が付きませんでした。熊本県民公園体育館で行われました。

入場料500円(笑)

そのチケット覚えています。

板張りの体育館での試合で、そりゃ度肝を抜かれた記憶があります。高校入試が終わった直後で、目の前で試合が見られるので役得だったのですが、今だから言いますけど、何度かタイム計り損ねて、勘でやりました(笑)

見入っちゃうんですよね。ばんばんKOシーンあるわけで。

その大会から2年後に、秋岡塾長や私も出場した公式戦が開催されたのですが、毎年開催されるわけじゃありませんでした。

井上雄一朗の初陣は17歳と書いていますが、彼が16歳の時にも大会が開催され、同級である山浦君などは出場していたのですが、井上雄一朗の名前がない(笑)

「あれ、なんで名前ないの?」と聞くと、

「その頃はあんまり稽古していない頃だったので」とのこと(笑)

ティーンエイジャーというタイトルなので、その頃のお話を続けますが、18歳の頃の井上雄一朗。

カメラマン

以前書いた大分での交流試合時ですね。いちお、ビデオ頼むね!と突然審判やれと言われた私は井上雄一朗にお願いしたのですが、最初はこういう感じでちゃんとビデオ係やってました。

でも途中からセコンドになっていたわけで、そういう意味では貴重な証拠写真(笑)

ゴウセイが出場した交流試合です。極真館の木下先生も出場したのかな?

井上と長友

山浦君や長友君ももちろん応援に行っています。

井上雄一朗は誕生日前なら、まだ17歳ですね。でも、おそらく18歳。

ゴウセイに何月の試合だったか聞けばわかります(笑)

大分までは遠くてですね、途中で休憩しつつ行きました。最初に休憩したのは立野のヒライ。「おべんとうのヒライ」です。

そこで休憩してトイレに行ったりした記憶があります。

ヒライで休憩

トヨズミ君もいます。

私は運転していたので、おそらく19歳か20歳。当時秋岡塾長らと指導していた道場の選手を連れていきました。

当時は、数十年後に毎年何度も大分まで空手の試合で行くなんて想像もしてませんでしたよ(笑)

ひたすら「遠いよなぁ」連発でした。

閑話休題。
ティーンエイジャーな頃のみんなは、いい顔してますね。

今でもそうなのですが、まだ色々なものに染まっていない、重厚感がない頃といえばそうなのですが、生命力溢れる時期なので、いい顔しています。

という、何のオチもない記事でした!

<おまけ>
井上雄一朗26歳。あれから約10年後になりますかね。

井上雄一朗26歳

ウエイト制の時ですね。何度目のやつかなぁ。第14回ですね。準々決勝で白蓮会館の赤松宏太選手と対戦した時ですね。

それが縁で白蓮会館の先生方とも邂逅でき、現在に繋がるわけで、人の縁というのは摩訶不思議。


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