以前、ユウスケパパに古い映像のDVDを頂いていて、ユウスケらが小さい頃のやつなんですが、ネタ用として使える時に使おうと思いつつ、ずっと忘れていました。
アイリが復帰し、その前にマサヤも復帰していたのですが、マサヤが低学年時代、選手コースなどで鍛えられたアカリという伝説の子の試合映像を見たくなって、そのDVDを取り出して見てみました。
そしたら、ケイゴやアイリの小さい頃の映像が盛り沢山という。
まず、
ユウスケ最初の昇級審査時。幼年部時代な頃のはず。
今のタクミ2号、タケマサ、コジローらと同じ頃。
タクミ2号は、井上雄一朗に「ユウスケの小さい頃にそっくり!」とよく言われていますが、この映像を見て納得。
タクミ2号とコジローを合わせたような動きでした。
当時のユウスケを知らないのですが、マ、一生懸命練習する子だった、とのこと。
言ってる意味わかりますよね(笑)
デ、
2006年3月に時は飛びます。
7年前のペガサスカップ。
ユウスケ3年生、ユリナ2年生なんですが、開会式時の映像には、秋岡塾の道場生も映っていて、五十音順に並ぶので、秋岡塾、井上道場の順で、そこに、ジョースケとタイセイも映っていました。当時2年生。
タイセイの低学年時は、やはり、ヤバイ(笑)
ジョースケ、全然変わらないという不思議。
デ、
2006年10月に時は飛びます。
年度替わりしているので、ユウスケやユリナは学年がひとつ上がっている山鹿での大会時なのですが、
そこに、
年長さん時代のショウタ、ケイゴ、1年生時のアイリが映っていました。
みんな、変わらないですねぇ。
この時の大会は、女子は二学年混合で開催されています。
なので、アイリがエントリーしたのは女子小学1・2年生の部。
準優勝してます。
優勝したのは、秋岡塾のサキ。当時小2。
この約半年後、サキは姉のユキコと共に井上道場に一年間の出稽古に来るわけですが、
当時は、神さまでもしらない(笑)
ほんで、
女子小学3・4年生の部で優勝しているのは、ユリナ。当時小3。
準優勝がヒカリで当時小4。
3位も井上道場生だったのですが、閉会式前に帰っちゃったので、ユウスケが代理で表彰式に出ています。
このあと入賞者による公式記念撮影が行われているのですが、そこにも入るユウスケ(笑)
女子の中にユウスケだけという。
そんなことはどうでもよくて、
元々、アカリの試合を見たくて見だしたDVD。
他のことに目を奪われ、すっかり忘れているという。
アカリの試合、ほとんど一本勝ち(それもKO勝ち含む)なので試合時間短くて、探すの難儀したんですよぉ。
そんなアカリ。
マサヤのトラウマなアカリ。
もう別格です。
当時は女子の部がなかったそうで、男子の部の一学年下にエントリーしていたそうですが、なので決勝戦は女子同士なのですが、当時小5とからしいのですが、KOで決めちゃう(笑)
今、某団体で活躍する某兄弟とかと、普通に試合していたアカリ。
そりゃ、マサヤ、トラウマになるわ(笑)
そうそう、
上の画像の左側、奥に若い夫婦が映っています。お母さんは胸に赤ちゃんを抱いています。
これ、アイリパパとママです。
抱いている赤ちゃんは、ショウリ!
別の角度だと、マサヤもパパの隣りにいるのが確認できます。
当時何年生だろう?
井上雄一朗に「これマサヤですよ」と言われるまで、気がつきませんでした。
ちなみに、
この時のアカリの相手は同門で、開始早々、上段前蹴りで技あり、そのあと、ショートの間合いからレバーに刺す膝蹴り、これが効いて相手が上体曲げたところに左ハイ一発。
で、終わり。
詰め将棋のような戦い方でした。
ビックリだ。
同門同士なので、両者井上雄一朗が指導していて、映像を見つつ解説してくれました。
当時、わたしは東京にいた頃。
これ、2005年か2004年頃だと思うのですが、
スタッフとしてハリウッドスターも映っていました(笑)
そして、
この大会には秋岡塾からも多くの道場生がエントリーしていて、ユキコとか応援している姿映っていたり、ユウマの中1時代が映っていたりと、別の楽しみ方が出来たのですが、
当時、小1なカズサが優勝していて、決勝の相手は一学年上のヒカリだったのですが、当時からカズサはイケイケだった(笑)
そして、
可愛い顔してた(笑)
カズサも全然変わらないや。
と、
古いネタを使った記事を終わります。
数年後、
タクミ2号やコジローなどの画像を引っ張り出して、「あの頃」とかの記事を投稿しているのかと思うと、
それはそれで楽しいんだろうなぁと思う今日この頃。
今日は風が強いですね。
ってことで。