今週の火曜日(3月18日)、珍しい男が代継橋道場を訪れました。訪問することは事前にわかっていて、私もとても楽しみにしていたのですが、井上雄一朗は、もっともっと楽しみにしていた日でもあります。
その男は、井上雄一朗の「竹馬の友」。
つまり、幼なじみなわけです。
代継橋道場少年部稽古の途中から来ていたので、ご父兄の中には「見慣れない大男がいるな?」と思われた方もいるはず。しかしご父兄の中にも、実はその男と竹馬の友であったお母さんがいたりして、そして再会したのが何年ぶり、何十年ぶりだったはずなので全然わからなかったりして、それは、「歳月」というものを実感することでもあるのですが、そのお母さん以上に井上雄一朗も私も驚いた。
変わりすぎ(笑)
その男、ゴウセイと言います。
竹馬の友とは「ちくばのとも」と読み、ちくば=竹馬なのですが、これはそのまま「竹馬(たけうま)」のことです。幼い頃に竹馬に乗って遊んだ仲ということで、幼なじみ、つまり幼少よりの友人という意味なのですが、我々はいざしらず、今の子たちに竹馬と言ってもわかるのかは疑問。
そんなことはどうでもよくて、このゴウセイ、井上雄一朗の幼なじみであり空手の後輩でもあります。
井上雄一朗の空手の後輩ということは私の後輩ということでもあり、ゴウセイが空手を始めた15歳の頃から知っていたりします。
というか、私の記憶はゴウセイが15歳か16歳の、まだ少年から青年になる渦中の時期の姿を知っているので、単なるおっさんになった今だと「誰?こいつ?」ってのが本音(笑)
ゴウセイが代継橋道場を訪れ、会釈して入ってきた時、井上雄一朗は「誰だ?このおっさん。見学者かな?」とか思ったりしたのは内緒です。
私が「今日はゴウセイが来るって聞いていたんだけど、なんで酔っぱらいみたいなおっさんが来ているんだろう」なんて思ったのも内緒です。
代継橋道場の稽古が終わり、ゴウセイと食事をしにみんなで行ったのですが、その席でゴウセイが「井上先輩、最初視線あわせても外しましたよね」とか言ってましたが、これは内緒ではありません。
そんなことはどうでもよく、つまり、過ぎ去りし歳月というのは、かくもリアリティがあるものだな、と。
15歳のゴウセイとは全然違う体型だったのですが、あとでゴウセイが「先輩の空手着の後姿を見て、やっぱこれだけ時間が過ぎてもあの頃と同じスタイルを維持しているってのは凄いなと思いました」と驚愕の眼差しで話していたのですが、それを聞いた私は冷めた口調で、
「ゴウセイ。おまえは一年前を知らない。もうね、一年前は今のゴウセイよりもでかかったよ。井上に聞いてごらん。このままじゃ絶対に死ぬなってくらいやばかったから(笑)」
と答えておきました。
「まじですか!?」と、さらに驚愕するゴウセイ・・・
閑話休題。
ゴウセイは井上雄一朗の竹馬の友。というより、もう、ほぼ、井上雄一朗の弟ですね。ゴウセイ自体は弟や妹がいる兄なのですが、彼の人生からすると井上雄一朗は、ほぼ、兄。
嫌な兄貴を持ったねぇ、ゴウセイ(笑)
井上雄一朗とゴウセイは1歳違います。「幼なじみって、どれくらい古いんだよ」と聞くと「幼稚園・・・いや、生まれた時から一緒です」との答え。
この意味は合ってます。
井上雄一朗もゴウセイも父親が公務員(県庁マン)で、県職員住宅に住んでいました。アパートなんですが、分かり易くいうと長屋みたいな作りです。県職員アパートって表現してましたけど、国府にありました。私も何度も行ったことがある場所です。
そこに済む県職員の家族は、まるで大家族のような付き合いを当時していたそうで、その中に井上雄一朗やゴウセイもいたと。
いっつも一緒に遊んでいたわけですが、そりゃ住んでいるところが同じなので帰る時間を気にせず遊べます。川もあり林もあった時代。虫を捕まえ、魚を捕まえ、走り、もぐり、太陽の光を燦々と浴びつつ、ハツラツと過ごした幼少時代だったと思います。
井上雄一朗は中学1年で空手を始めます。その時ゴウセイは小学6年生ですね。そして、ゴウセイが中学に上がり、その同級生でも空手を始めた友人がいたと。
それが空手に興味を持ったきっかけだったそうです。友人たちが学校で練習していたそうです。
話を聞くと、井上雄一朗が通っている道場と同じ。幼なじみなので、ゴウセイは「雄ちゃん」井上雄一朗は「ゴウちゃん」と呼び合うのですが、「雄ちゃんと同じとこかぁ」とさらに興味がわいたそうです。
絶対に空手を習いたい。
その願いがかなったのは高校に入学してから。そして、道場で私と出会うわけです。
いや~あの頃は、本当に可愛い少年だったよ、ゴウセイ(笑)
年齢的な差があって、私が直接手とり足とり指導したのは、実質井上雄一朗の世代までで、それより下は、もう道場生が多く、かつ井上雄一朗の世代に特化して指導していたので、井上雄一朗らにまかせていたりしていました。
でも、ゴウセイや極真館菊水道場の木下先生などは、軽く教えたはず。木下先生はゴウセイよりさらに年下なわけで、少年部で入門してきたので、はっきりいって、私が指導することはまずない(笑)
それより以前なら教えてましたが、当時はもう私の下の指導員が育っていたので、彼らにまかせていた頃。でも、なぜ木下先生は別なのか?
それは小学生なのに、中学生や高校生の先輩の後にいっつもくっついていたから(笑)
極真館菊水道場の木下先生、木下雄一朗君で思い出しましたが、木下先生はゴウセイだけは苗字に君付けで読んでました。
なんで?
とゴウセイに聞いたら「たぶん、自分の方が入門が遅いからですよ」とのこと。
「まじで?」と私。
それはわからんかったなぁ・・・と思いましたが、井上雄一朗より下の世代の道場生に対してはこんな感じです(笑)
当時は「いったい何人の面倒みなきゃいけないんだ」と思ってましたから。内弟子の面倒みて、一般道場生も面倒みて、かつ分支部の責任者だったりもして、自分の稽古が出来ないんですよねぇ(笑)
会費払ってるんですよ(笑)
私に教えてくれって話しです。空手を教えてくれたI先生もK先生も当時は既にいなかったので、もう絶望しつつ、けれども内弟子だった井上雄一朗らに希望をみて日々過ごしていた頃です。はい。
余談が過ぎましたが、木下先生でさらに思い出したことがあります。
過去記事「第4回ペガサスカップ練成大会のCATVオンエア」の後半に当時の画像を貼り付け、少年部な木下先生について書いていますが、実はこの画像の完全版にはゴウセイも写っています。
大分での交流試合時なんですが、場所はコンパルホールかどっかで、井上雄一朗や山浦君や長友君ら当時の内弟子はセコンドとして大分まで行き、私は分支部の道場生が選手で出場していたので連れて行って(かつ他の内弟子が出場していたので、そのセコンドとしても)試合後に全員で記念撮影。そんな写真。
ちなみに、分支部の道場生や内弟子が多数出場していたので、セコンドは井上雄一朗らと分散してやろうとか思っていたのですが、大分の師範が「おおう!いいところに来た。はい!」と審判用の紅白旗を渡され急遽副審になったというのは内緒ではありません(笑)
きいてないよぉ・・・・・
とか思いつつも、もう仕方ないので副審やって(当時はまだ大分には黒帯がいなかったはずで、熊本から来た私が唯一の黒帯という呑気な時代)、他の色々計画していたことは井上雄一朗らに「あとはたのむぞ」と。
審判のキャリアも高校生の頃からやっていたので、「変な旗の上げ方するなよ~」と他の副審に対して思いつつも「もう予定外でいきなりだから、熊本の選手ばっかに旗あげちゃおうかなぁ」なんて思ったりもして(笑)
まぁ、そんなことはしないんですが。
またまた余談が多くなりましたが、その過去記事に貼り付けている画像が以下。
過去記事にキャプションとしてつけた文章は以下に引用。
これは試合が終わってから記念撮影したものの一部です。井上雄一朗も応援に行っているので左側に写っているのですが、なぜか一緒に写っている後輩に後蹴りをしていて顔は写っていません。木下雄一朗先生の左肩に手をかけているのは、極真熊本糸永道場指導員時代に香港チャンピオンになった山浦淳仁君です。顔が強烈なので木下雄一朗先生だけの画像にしています。
デ。
この画像の完全版が以下のものです。井上雄一朗も山浦君も長友君もゴウセイも私も写っているやつ。
この元写真には日付があって、見てみると「88.3.26」とあります。
1988年の3月26日かぁ・・・・
そうかぁ・・・
・・・
・・・
・・・
1988年!
3月っ!
ちょうど20年前じゃねぇかよ!
昨日のことのように、とは思いませんが、少なくとも、ちょっと前のことのような気がします。それが、もう20年前!
笑いました。
そりゃ、今のゴウセイ見てもわかるわけないよな(笑)
ちなみに20年前のゴウセイはこうでした。
そして20年前の井上雄一朗はというと、引用文の中にもありますが、撮影の瞬間に後方の後輩に後蹴りをかましているんで、後頭部だけ(笑)
誰だかわかんないって話です(笑)
せっかくなので、木下先生の20年前完全版も。木下先生の肩に手を置いているのは山浦君と書きましたが、その山浦君と長友君も。
やっぱ、山浦は変わらないナ(笑)
代継橋道場稽古のあと、せっかくなので20年前と同じポーズで写真を撮ろうと撮影しました。なんで20年前と同じポーズでと思ったかわからないんですが、面白いかな、と思ったので。
それが、これ。
井上雄一朗の後蹴りが逆なんですよね(笑)
そこだけが失敗したなと反省してます。はい。
この日のゴウセイなんですが、一般部稽古に参加しました。随分と久しぶりの空手の稽古だったらしく、体を使う仕事をしていますが年齢的に管理する側、つまり管理職になっているので、きついだろうから体と相談しながら自分のペースでやればいいという井上雄一朗の優しい言葉。
基本稽古持つかな?とか思っていて、特に足技なんて、運動不足だと拷問以外のなにものでもないからよく見ておかなければと私も思い見ていたのですが、手技の時点でゴウセイの首すじからは汗、汗、汗・・・
ああ、ゴウセイすでにカラータイマー点滅!
それでも気合いを入れてやるわけです。自分の青い春に一生懸命打ち込んだ空手の稽古をやるわけです。そして、あの時代の道場生だったので、手を抜くことを知らない。一生懸命やる。
よけいにきつい(笑)
パンチングミットや中ミットを使っての突き技の練習時は私とペアになってやったわけですが、指導するのが井上雄一朗でペアになってミット持ってハッパかけるのが私。
ゴウセイ、あの頃と同じ緊張感の中で練習なわけです(笑)
あとで「おれが持ってるからなぁ。ゴウセイ、体が動こうが動きまいが、やるしかないよなぁ。パブロフの犬じゃないけど、あの頃の記憶が細胞レベルで残っているからなぁ」と呟くと「あの頃は先輩とペアになるなんて有り得なかったので良かったッス」とゴウセイ。
よかったッスって、ゴウセイいつぶっ倒れるかと心配だったよ(笑)
でも、最後までやったのは見事。私は1年前はゴウセイほど動けなかったから。
でも、動きは酔拳だったゴウセイ、というのは内緒。
過去記事のどこかで「友あり、遠方より来たる。また楽しからずや」と題して記事を投稿し、これは論語の冒頭の有名な一節なんですが、そして、その記事では井上雄一朗の中学からの同窓である誠武館の岩永館長に関して書いた記事なんですが、ゴウセイについて書いているこの記事でも使っています。
友あり、遠方より来たる。また楽しからずや
井上雄一朗はゴウセイとの再会をたいへん喜んでいました。
そしてそれは、自分の歴史の中のある時期に必ず存在する「竹馬の友」であるゴウセイと、歳月を経て再会し、一瞬で時間が戻ったように、本人にしかわからないであろう感情が、これは喜びの感情なのですが、それに全身が満たされるという至福の時を得られたからだと思います。
「追慕(ついぼ)」とは「遠く離れて会えない人をなつかしむ」という意味の言葉ですが、別に故人になった人だけに使う言葉ではなく、元気に生きているけれど、別々の場所で暮らしているため会えない人にも使います。
いままで、追慕するしかなかったゴウセイと久しぶりの再会。
これは嬉しくないはずがないわけです。
稽古のあと食事をし、飲みましたが、ふとゴウセイが漏らしました。
「こうやって雄ちゃんとお酒飲むのって、初めてじゃないかな?」
井上雄一朗も、ふと考える仕草をし、
「そうそうそう。初めてよ」と。
竹馬の友なのであります。
ゴウセイと別れ、井上雄一朗と二人になった時、しきりに「今日はゴウセイと会えてよかった」と何度も何度も呟いていました。
そして、その時の彼の表情は、おそらく私が知らない、ゴウセイのみ知る、幼稚園、小学生時代の、腕白小僧の笑顔だったに違いない。
子曰はく、学んで時にこれを習ふ。また説(よろこ)ばしからずや。朋あり遠方より来る、また楽しからずや。人知れず、而(しこう)して慍(いか)らず、また君子ならずや
子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎
私もゴウセイと会えて嬉しかったです。
空手以外は不真面目でだらしない私ですが、少なくとも空手だけは一生懸命やって、人が遊んでいる時も稽古していて、それは空手が好きだから、つまり「好きこそものの上手なれ」なんですが、同じ場所で汗を流した仲間、たとえ後輩だとしても、再会する喜びは大きいです。
井上雄一朗の、あの笑顔は、遠い日々を追憶していると同時に、これからも頑張るぞという彼なりの表情だったんだな、と思う次第であります。
ゴウセイ、機会があれば、また会おう。
<追記>
コメント欄でおなじみの佐藤宏樹ことヒロキですが、彼は大のプロレスファン。
井上道場Tipsを毎日読んでいるゴウセイは、そんなヒロキの事を覚えていて、道場に来るときにプレゼント持ってきてくれました。
それは、ドラゴンロードゲートというプロレス団体のポスター。それもサイン入り。
「プロレスファンの彼は来ますかね?」というゴウセイに「来ると思うよ」と答えると、ヒロキ登場です。稽古前に「ヒロキ、この先輩がヒロキがプロレスファンだってことでプレゼントがあるんだって」と言ってポスターを渡すと、ヒロキ、あわわあわわと興奮状態(笑)
家に戻っても興奮していたそうです。
ゴウセイは、これだけ喜んで貰えると彼ら(プロレスラー)も嬉しいでしょうと、他の選手のサインを貰ってくるからと約束してくれました。
ヒロキ、よかったね。
と書いていますが、ヒロキがこの長い長い記事を最後まで読んでいるか疑問(笑)
コメント欄に書けばよかったかなぁ・・・
機会があれば選手に会わせてくれるかもってよ、ヒロキ。
ゴウセイは優しい男なのです。
間違いが、1つあります。
ドラゴンロードじゃなくて、ドラゴンゲートです。サインは、本当にありがとうございました。
そうそう。ドラゴンゲート。
ドラゴンロードだとジャッキー・チェンの映画になっちゃう(笑)
ちゃんとこの記事を最後まで読んだヒロキは偉い!
ドラゴンロードだとジャッキーの映画だよなぁと思いつつも、ドラゴンゲートが出てこなかったので、そのまま書いた(笑)
ヒロキに間違いを指摘されるなんて!
なんとハッピーなことか。
そして、このコメントをゴウセイが読んで「やはりヒロキ君はプロレスの大ファンなんだな」と納得するはず。
井上道場の皆さん、先日は稽古つけて頂きありがとうございました!36歳96㎏・・・ 正直、かなり辛かったです。
ですが、辛さ以上に嬉しく、充実した1日でした!先輩方と15年以上振りに再会し、色んな思い出が鮮明に蘇りました。30数年前、井上師範についてまわっては、何故かいつも泣きながら家に帰ってた幼少期(笑)、井上師範が始めてる事をきっかけに空手に打ち込んだ高校時代、確かに兄貴的存在でした!
稽古終了後、食事に連れて行って頂きましたが私の足取りは既におかしく、膝はガクガク。
そんな私を先輩方は同じ目線で心底歓迎して頂き、ずっと笑ってました♪美味しい酒でしたっ!本当にありがとうございました!今後は『真夜中の・・・』食シリーズにサンマを持参で参加します!!
>ゴウセイへ
ゴウセイ、秋刀魚(サンマ)って「秋」の味覚なのよねぇ。
なので、だから、あそこには無かったかも(笑)
ゴウセイは、私や井上よりも若い。ということで、まだまだ動くよ。よく頑張っていたと思います。
空手でかく汗はいいだろ?
最高のはず!
井上雄一朗がゴウセイが帰ったあとも「今日はゴウセイに会えてよかった、よかった・・・」と何度も何度も呟いていたのが全て。
素晴らしき友情というものを見せてもらった、とてもいい日でした。
また、会おう!