空手は空手着(空手衣)を着用し帯を締めて稽古します。道着と言ったり道衣と言ったりして、いったいどっちなんだと思いますが、基本的には道着と思っています。
武蔵ヶ丘道場にナツキという少年部の女の子がいるのですが、キャリアは長いので、成長著しい小学生としては、既に道着が小さくなってきていて、かつ、所々に破れもあって、道着姿を見るだけだと女空手バカ一代状態・・・
ナツキパパが「もう、こんなんだから」と新しい道着を注文して先週井上雄一朗が渡したのですが、昨日の稽古では以前の道着のまま。
「あれ、ナツキ新しい道着じゃないの?」と道場に顔を出したナツキに声をかけると、とたんに眉間に皺を寄せて「暑い、あれは暑いから冬用にします」と。
なんだよ、冬用って(笑)
真新しい道着はゴワゴワしていて、まだ生地も馴染んでないので数回洗濯して使うのですが、それでもゴワゴワ感は抜けず、稽古しているうちに知らず知らず肌にしっとりとしてくるのですが、ナツキの場合、洗濯して試着した時にそうとう暑かったみたいです。
もう可愛いというよりもきれいな顔立ちのナツキなのですが、眉間に皺を寄せて本気で夏に着るのは嫌だってなリアクションに笑いました。超ブサイクな顔で嫌がるんですよ。せっかくのルックスが台無しです(笑)
かつ、小さくなって所々破れが目立つ道着を指さして「こっちの方が穴が空いて空気が入るから」と聞いていて微笑ましくなる理由も言ってくれます。そりゃそうだろうけどさぁ(笑)
丁度ナツキパパが新しい道着をお願いしますと井上雄一朗に道着を注文した日に、ナツキの道着を見て「おおう!すげぇなぁナツキ。長年稽古しないとこんなにはならないよ」と感心して、そのボロボロになった道着は自分が稽古を継続してきた証拠だよと言った覚えがあり、ついでに「俺もだいぶ道着は着潰したけど、持っている中で一番古い道着はナツキの道着よりもボロボロだよ。雑巾とかわんねぇ状態よ」とフォローとも言えないフォローをしてみたり。
そんな道着を来ているナツキが、子ども特有のナイーブさで気にしているのかな、と思ってフォローしてみたのですが、全然気にしていなかったというのは内緒です。
空手着も色々あって、いいやつは洗濯しても縮まず、色々な機能(通気性であるとか発汗時の揮発性であるとか)があるのですが、まぁ、普段の稽古用だとそれほど気にすることもないですね。日々使うものですから。
先週はナツキと同じく武蔵ヶ丘道場シニアのシモニシさんにも道着を渡し、春先に入門されたのでジャージで稽古されていたのですが、まだ洗濯もしていない真新しい道着を着ていつもより気合いが入って稽古されていたのは、やはり道着を着て稽古するというフレッシュ感だからなのかなぁと。
シモニシさんは還暦なシニアなのですが、最初の稽古の時から足も上がり、自分がこの年齢になった時に同じように足があがるかと考え、否!と即答できたのでそれから鈍った体をいじめているという、私にとってはある意味、目標とする方ですが、先日は洗濯も終えた道着を着て、とても蒸し暑かったのですが、汗だくになりながら稽古されていました。
先週、井上雄一朗が道着をお渡しした時も「やはり道着があると違いますね。身が引き締まります」と笑みを浮かべていたのですが、ジャージ姿で稽古を続けてきたあとの道着は、ある種感慨深いものがあるのは誰でも同じだなぁと。
私も入門して数ヶ月はジャージでした。初日は公園で稽古です。裸足にジャージ。足の裏は痛いは、ジャージ姿で格好悪いはで今でも昨日のことのように思い出せます。
でも、ジャージ姿というのはある種の免罪符で、初心者、入門したてというのが見た目でわかり、下手なりに色々と先輩方が教えてくれるので、最初から道着で稽古するよりもよかったかなぁと思ったり。
すぐにでも道着が欲しかったのですが、当時は1日に何十人と入門する時代で、道着自体が在庫不足だったというのもあって、なかなか購入できなかったですね。フルコンタクト空手用の道着というのは、当時は限られたメーカーしか扱ってなくて、武道具店の多い熊本でも、まず武道具店ではフルコンタクト用の空手着は手に入らなかった時代です。
公認道着というか、胸に会派の刺繍が入り、道着の上下に付いている織りマークには、会派のマーク(観空マーク)がある道着は道場でしか手に入らなかったですから。これは今でもそうだと思います。公認道着は道場のみでの販売なはずです。
でも、フルコンタクト空手着は、今では通販や武道具店でも手に入り、その点はあの頃と違うかな、と。
そんな時代だったので、公認道着が来るのはずっと先、でも最初の昇級審査があるので、フルコンタクト用じゃない空手着を購入しました。ダルマ印のやつです。柔道着や合気道着を扱っているフジダルマ印でお馴染みの安信商会のやつだったと思います。織りマークはダルマ印でしたから。結構柔道や合気道や剣道では老舗なメーカーですね。
フルコンタクト空手着はベージュ系の色だったのですが、ダルマ印は純白で、生地が厚い。胸の刺繍は刺繍屋さんで入れて下さいと道場から言われ、当時たしか500円だったと思うのですが刺繍を入れにいった覚えがあります。
でも、フルコンタクト用じゃないので、けっこう大変でした(笑)
足を高く上げるのを想定して作ってないので、つっぱっるんですよ。蹴上げの時など、足を振り上げるより戻す時の方がはやかったりと、気分は大リーグ養成ギブスをした星飛雄馬状態・・・
生地も厚手なので当時の洗濯機だとうまく洗えない。毎日風呂場で手洗いしてました。しゃがんでゴシゴシと1時間くらいかけて洗っていたので足腰強くなりましたよ(笑)
毎日稽古していたので、毎日洗濯していましたが、いっこうに柔らかくならない。洗濯忘れるとカビが生える。もう散々な思い出しかないのですが、ジャージ姿から道着を着て稽古した時の感動は忘れないですね。
私だけではなく、他の道場生も似たり寄ったりな状況でしたから。
後年、ダルマ印の道着がボロボロになって、公認道着を購入したのですが、その動きやすいことにさらに感動しました。フルコンタクト空手はやはりフルコンタクト用の道着を着ないとダメだなぁと。
公認道着も色々なやつがありましたね。今はほぼイサミ製だと思うのですが、マス大山エンタープライズって袋に入っていた道着もありました。作っていたのはどこのメーカーだったのでしょうか?
変わったところでは、当時久留米から熊本の全寮制の高校に進学していたMという先輩がいて、私の道着がボロボロだからと自分の道着を使えと貰ったのですが、織りマークが変わっていました。観空マークはありましたが、その下はローマ字で芦原道場ってありました。
久留米時代に通っていた道場は芦原道場だったからということでしたが、当時はよく意味がわからず、最近ネットで色々と調べているとマニアだとそういう織りマーク付き道着が高値で取引されるのを知り、「ああ、使わずとっとけばよかったなぁ」なんて思ったり(笑)
そのM先輩ですが、角刈りで強面なイメージなのですが医者の息子で自分も医者になるからその勉強をしつつ空手が大好きだから熊本に来ても空手をやっているという男気のある人で、仕送りがあった日は、必ず私たちに食事をご馳走してくれていました。
武道館で稽古して、そのままうどん屋の都一に直行です。東バイパスの熊工の隣りにあるうどん屋さんですね。そこに10人くらいで行って肉うどんの大盛といなり寿司を注文して食べるわけです。食べ盛りな十代ですから、きっつい稽古後でもバクバク食べるわけですよ。
そしてM先輩は「俺も先輩にこんな感じでご馳走してもらったから、おまえらも出来るようになったら後輩に同じことやってくれ。俺に感謝する必要はないから。水は上から下に流れるから」と、当時は意味さえもわからず、押忍押忍とうどんを頬張っていました(笑)
M先輩が大学進学の為に道場から離れ、いつしかM先輩の立場に私はなっていた時、場所は違いますが井上雄一朗たちを稽古後にメシに誘い、M先輩と同じことを喋っていたのには笑いました。なるほどなぁと。そして、聞いている井上雄一朗たちは、あの頃の私同様に意味さえもわからずバクバク食べているんだろうなぁと。
水は上から下に流れる・・・
井上雄一朗たちも同じようなことを行い、同じようなことを言い、その流れをくむ後輩たちが、今現在同じようなことをしているのかなぁと思うと、人は人で繋がっていくんだなぁと。
M先輩は久留米時代にそういう道場で稽古していたので、我々が教わる時もちょっと変わった稽古でしたね。とにかくサイドやバックに回って掴んで放り投げたり、引き倒して攻撃したりと、それまで稽古していたのとは違った稽古で、これはこれで為になりました。
今思うと、サバキの稽古をやっていたのですが、当時は試合などもなく、空手の「か」の字も知らない頃なので、こりゃおもしれぇやって感じで、掴んでは引きずり倒して、逆に掴まれては引きずり倒されな日々でしたね。当時は顔を叩いちゃいけないって知らなかったんですよ(笑)
おかげで掴むクセは、結構あとあとまで残っちゃいました(笑)
そんな道着というと、色々な思い出が蘇るお話でした。
ナツキは、やはり冬まで新しい道着を着ないのだろうか?
ああ、都一の肉うどんの大盛といなり寿司食いてぇ・・・