先週よりもだいぶ調子もよく、思っていたよりも早く復帰できそうな気配ですが、そうやって油断して何度も痛い目にあっているので、ここは慎重にも慎重を重ねて大事をとろうと思っている今日この頃、の私。
そんな感じなので日常の稽古ネタはないのですが、ならば久々に「懐かしい話シリーズ」でも投稿しようと、時は遡り1995年の懐かしい話。
今から15年前です。ユウスケもダイヤもエムも生まれておらず(もちろんケイゴやタクミやリョウも)、そんなみんなのパパやママが恋愛真っ最中だった頃かも知れません(笑)
先月末の第7回ペガサスカップ錬成大会でお世話になった、極真館本部直轄熊本菊水道場の木下先生と井上雄一朗や当時のお話。
二人とも名前は「雄一朗」です。
木下先生については、「懐かしい話シリーズ」で度々取り上げているので今さらな感もあるのですが、ある事情から封印していた映像の画像を取り込んだので、それ使ってみよう!ということで取り上げています。
封印していたある事情とは・・・まぁ書けないのですが、別に深刻な事情でもなんでもないです(笑)
デ、
1995年、佐賀県において第6回佐賀県空手道選手権大会が開催されました。主催は国際空手道連盟極真会館佐賀支部(当時)。
この前年に井上雄一朗や私の先生の先生が亡くなられているので、徐々に混沌としてきた頃。
同じく前年に当時宮崎支部所属だった井上雄一朗は大阪での全日本ウエイト制に出場して(それから何度も出場することになります)、「井上が出る」つうことで先輩が応援にいって、戻ってきたら興奮していて私に練習しよう!と(笑)
それに井上雄一朗を含め三人で自宅の駐車場で練習開始。井上雄一朗が帰熊しても練習する場所が当時の熊本にはありませんでした。
そしてこの三人で始めた練習が、現在別会派として熊本で活動している組織の始まり。きっかけは、この佐賀県大会での井上雄一朗の優勝でしたねぇ。
最初はたった三人で練習場所は我が家の駐車場だった(笑)
この三人の練習がいつの間にか一人増え二人増え、もちろん経験者で黒帯とか茶帯なんですがまったくの素人もいて、さすがに駐車場じゃ狭いということで場所を市立総合体育館武道場に変えました。そこで練習していたわけで、幕末で例えると鎖国で何も知らない幕府ではなく、上海で世界を知った高杉晋作みたいな感じだったので新鮮だったことでしょう。
そして1995年、佐賀県の師範から「大会に出場してみないか?」というお誘いがあり、「いいのかなぁ」と思いつつも、そのお言葉に甘え出場することになりました。
一般部に井上雄一朗とK君。壮年部に先輩。の三名がエントリーです。
K君とか今思うと微妙な立場だったはずだけど、どうやってあの問題クリアしたんだろう(笑)
当時は会派一緒だったんだっけ?忘れちゃったなぁ。
そしてK君、大分で修行し黒帯になった真面目なスポーツマンで、頭もよくてこれがまた強い。他にも他県で修行して就職で帰熊したF君とかいたので井上雄一朗らの練習は充実したものでした。
そんなこんなで練習もしっかりやり、大会当日を迎えます。
会場には、極真館本部直轄熊本菊水道場の木下先生も応援に来ています。つうか、ほぼセコンドです。井上雄一朗のアップを手伝ってくれたりして、今思うと、当時は別道場所属だったのでアレだったよねぇ(笑)
まぁ、下々の方はそんなの関係ないから、普通にみんな応援に来ていました。
会場について覚えているのは、選手控え室として用意してあった体育館ががらーんとしていて、
「全然人いないじゃん!」
と思ったこと。
早く会場に着きすぎただけでした(笑)
着替える前から井上雄一朗は軽く身体を動かしていました。やる気満々です。私らも井上雄一朗かK君が優勝するものとばかり思っていて、そう思っているのは我々だけだったはずなのですが、それくらい自信満々というか練習してきた自負がありました。
勝負ってのは、やってみないとわからないものですが、自信というものは、それ相当の裏付けとなる練習がないと出てきません。そういう意味での自信です。
一歩間違うと過信になるので要注意。
あとは、厳密に言うと、どこにも属さない宙ぶらりんな時期だったのでプレッシャーもなく、伸び伸びと試合を楽しめたというのもあります。
あの時期特有のやつで、まだ当時はギスギスする前だったんですよ(笑)
わかる人にはわかる例えですね。
開会式でも、カメラを構えた私に視線をおくる井上雄一朗です。あ、カメラは別人だったかなぁ。
当時井上雄一朗は茶帯です。2級です。今のユウスケと同じです。茶帯むちゃくちゃ長く締めてますからね。青帯も長かったですけど(笑)
話は逸れますが、2級のまま昇段審査を受けて黒帯になっています。その時の昇段審査は、この大会に呼んで下さった佐賀県の師範が来熊しての審査でした。
閑話休題。
試合前のアップ時、木下先生がミットを持ってくれていました。
緑色の中ミットを持っているのが木下先生。当時十代!
手前は私ですよ(笑)
デ、まぁ、井上雄一朗とK君。初戦から勝ち進み、同じブロックだったので準決勝で対戦しました。
これ、トーナメント表みた時に「準決勝であたる!」と残念がったものです。決勝でやらせたかった。まぁ、仕方ないことなのですけど。
延長再延長でも勝負がつかず、体重判定ですがそれでも差がないので再々延長までやりました。
もうお互い一緒に練習しているのでこうなるナと。
再々延長で井上雄一朗がK君を下し決勝進出です。
決勝戦でも勝ち井上雄一朗優勝です。
決勝戦を終えて戻ってくる井上雄一朗ですが、どうしてもこの構図で撮影したく狙った映像です。
同じ構図で撮影しているやつがあって、その時は高校生。いっつも3位で「またもや3位!」と言っていたのですが、この時ばかりは「やっと優勝!」と。
プレッシャーがないので、井上雄一朗も私もサバサバとしていたのですが、この優勝に感激していたのが木下先生で、感極まって泣いています。
ちょっとビックリしました。
「なんでお前が泣くんだよ!」
と突っ込みましたが、聞くと、志半ばで道場を離れなければいけなかったこと、新天地でやっと復帰できたこと、熊本に戻ってきて練習再開してこうやって大会で優勝できたこと、などなどが走馬燈のように駆けめぐり、その長くもなく短くもない数年間(とはいっても7~8年くらい)を思い出すと泣けてきます!本当によかった!と言っていました。
まぁ、古くから熊本で空手をやっていると色々なことがあり、振り返るといい勉強だったと思えるのですが、間近でそれを直接見ていた木下先生からすると、やはり感極まる井上雄一朗の優勝だったようで、私も、
「そうだな・・・」
と言ってやるのが精一杯でしたが、
「これからサ!今から始まりだから、泣くな!」
と一喝(笑)
そして、そんな感極まった木下先生に井上雄一朗が発した一言は、
「痩せろ!」
でした(笑)
その一言で笑顔になる木下先生。
井上雄一朗の思いやり・・・ではなく、そのまんまの意味だと思います(笑)
この頃の木下先生は、見て分かると思いますが、ペガサスカップで見るのと随分違いますよね。身体壊すんじゃないかっつうくらいでした。
そうそう。思い出しましたが、この大会を誠武館の岩永館長は見に来ています。数年前に井上雄一朗が教えてくれました。
「マジで?井上が出場するって知ってたの?」と聞くと、
「いえ偶然です」とのこと。
映像で探しましたが、15年前なので別人な岩永館長発見した時は、ある意味感動しました(笑)
デ、表彰式。
井上雄一朗優勝、K君4位(3位決定戦なかったんですよ。なので3位二人かと思ったら賞状には4位ってありました)、先輩は壮年部で優勝。
三人エントリーして、この結果でした。
この直後、私は二度目の東京勤務になり、熊本を離れます。しばらくして、熊本の先輩から電話があり、佐賀の師範から道場立ち上げないかという話がありどう思う?というもの。「やりましょう!」と返事しました。それが後に月出の道場になります。
それから橋の下をいくつもの水が流れ、時は過ぎ、あるものは老い、あるものは生まれ、そして現在に続きます。
この頃、木下先生は十代ですが、井上雄一朗も私も二十代ですよ(笑)
元気ありすぎでした。
そして、そんな木下先生のさらに小さい頃(小学生の頃)などは過去記事で紹介していますが、その過去記事で紹介している画像には、最近の記事で登場したトヨズミ君や今月熊本に遊びにくるらしいゴウセイも写っています。
フルバージョンを貼り付けてみます。
過去記事のやつはこういうやつでした。
■左画像の説明
これは試合が終わってから記念撮影したものの一部です。井上雄一朗も応援に行っているので左側に写っているのですが、なぜか一緒に写っている後輩に後蹴りをしていて顔は写っていません。木下雄一朗先生の左肩に手をかけているのは、極真熊本糸永道場指導員時代に香港チャンピオンになった山浦淳仁君です。顔が強烈なので木下雄一朗先生だけの画像にしています。■右画像の説明
井上雄一朗と一緒に写っている画像もあるので、これもせっかくなので貼り付けておきます。
撮影場所は、今は無き熊本水前寺体育館です。わからないと思いますが、右側に写っているのが井上雄一朗です。若い!当時高校三年生でしょうか。
二人の先輩の昇段審査時ですね。
デ、フルバージョンだとこうなっています。
トヨズミ君もいる、ゴウセイもいる、長友もいる、山浦もいる・・・。秋岡塾の秋岡塾長と指導していた道場の道場生もいる・・・とても懐かしい画像です。
ちなみに木下先生の御尊父には当時大変お世話になりました。数年前のペガサスカップで一別以来数十年ぶりにお会いしましたが、当時と変わらぬ壮健振りに感激した記憶があります。
もしかしたら、当時の木下先生の御尊父の年齢に段々と近づいているかもしれない私(笑)
左側は、井上雄一朗や私の先生の先生です。まだ元気いっぱいの頃。
マジックよりもデカイ指。これが空手家の拳。
ちなみに、これは大会レセプション時で、もちろん井上雄一朗や私もいて、このあとがもう凄い展開です。
が、それはさすがに書けません(笑)
このあとに何が起こったかは道場で聞いて下さい。
爆笑しますから。
今だと絶対に考えられない展開です(笑)
<関連記事>
■2009.07.01 ティーンエイジャー!の巻
■2008.03.20 竹馬の友 – 友あり、遠方より来たる。また楽しからずや2
■2007.05.09 第4回ペガサスカップ練成大会のCATVオンエア