■2007.06.14追記 ユキコの対戦相手名が間違っていたので訂正。
ユキコとサキの第3回西日本武道空手道交流大会の動画です。ユキコとサキとは、秋岡塾から井上道場に出稽古に来ている夕貴子と沙樹のことです。出稽古の経緯は過去記事に書いたので割愛しますが、今ではすっかり井上道場の子ども達とも打ち解け、動画でもそうですが、秋岡塾、井上道場と大応援団の中での試合です。
二人は秋岡塾の稽古にも出ているわけで、ある意味空手漬けな毎日で「まるで星飛雄馬だな」とは私が井上雄一朗に語った言葉。そして、井上雄一朗は、そんなユキコとサキにニヤニヤしながら「さぼりちゃーど?」と突っ込んでしまう男。
サキ曰く、「・・・押忍」。
画面奥に陣取るのは秋岡塾の応援団。サキの試合では、ユキコの姿も見えます。そして、普通は、反対側(画面手前)は相手選手の応援団なのですが、カメラ位置からすると、画面手前には井上道場の応援団(出場した選手や保護者)がいるわけで、どっちもサキの応援団じゃねぇかよ!と笑う構成になっています。
画面には映っていませんが、手前側からサキを応援する声があがって、見ていて笑ってしまいました。そりゃ、相手選手は辛いって話しです。まぁ、そういうこともあるということで。
2回戦の途中からと決勝戦のサキです。なぜか、由莉奈の試合冒頭も入っていますが、私が動画編集をミスったってのは内緒。
1回戦、2回戦(準決勝)、決勝戦と3回サキは試合を行いましたが、回を重ねる毎に動きがよくなってきましたね。中断膝蹴りを上手く使って、最後は突きの連打で一本勝ち。
試合後、上着を紺色のTシャツに着替えていたのですが、サキを会場で見つけた時にジャンプしていました。ピョンピョンと跳びはねながら空中で手を叩く、そんな仕草をずっとやっていて「はて?なにをやっているんだろう?」とずっと疑問に思っていました。
慰労会前の稽古時に「あの時、なにをやっていたの?」と聞くと三重跳びのタイミングの練習とのこと。縄跳びですね。小学生って、ある意味縄跳びのプロみたいなもんで、もうバカみたいに縄跳びばっかやってるでしょ。私もそうでしたけど。その縄跳びの三重跳びのタイミングの練習とのこと。
おまえ!三重跳びできるのかよ!と驚愕しましたが、タイミングだけの練習ってことで、そう習っているそうです。
なるほどなぁ。
空手と全然関係ないんですが(縄跳びなので無関係ではないですが)、試合が終わった後のリラックスした時間帯でのサキのジャンプが印象に残っていたので。
既に何度も書いていますが、ユキコは不戦勝が2回あって、一度も戦わずしての本戦が決勝戦でした。これも凄いことで、勝てないときはどうやっても1回戦突破できませんが、勝運があるといきなり決勝戦にいけるわけで、勝負というのは実力だけではなく、色々な要素があるものだなと実感する現実でもあります。
対戦相手はゼッケン392番の中嶋瑠花選手(雄信会)。強かったですねぇ。小学6年女子の部なんですが、身長はユキコの方があり、体格的に劣る中嶋選手なのですが、前傾姿勢になった重い突きと一発一発腰を入れた強い蹴りで延長戦でユキコを下します。地力がある選手ですね。
一度も試合することなく、体が温まらない状態で決勝戦に臨んだユキコという面はありますが、勝負の場では、そんなのは関係ないですからね。お互いよく健闘しました。
サキの動画と同様、奥の方が秋岡塾の応援団で、紺色のTシャツを着たサキが確認できます。もう大声を上げてユキコの応援ですよ。すぐわかります。
話は変わりますが、前記事で「武道と武士道」についてよくわからないと書きましたが、ネットで色々と彷徨っていたら、この違いについて書いているページがあったので引用します。前記事とか読んでいないと、いきなり何を書いているんだろうとなっちゃいますが、かまわず書いてみる。
極真会館浜井派サイトの浜井識安代表の挨拶ページ(極真空手とは)からの引用です。
4.武道と武士道
最後に「武道と武士道の違い」を理解しておいて下さい。
武士道は封建時代に殿様(支配者)に仕えた武士の生きる道であり、殿様(支配者)には絶対服従でしたが、武道はそうではありません。
武道はあくまで自分自身の信念に基づいて自立・共生する生きるための道であり、我々が目指すのは武士ではなく武道家です。
私はこれを「漢字での昔の日本の侍」ではなく「現代の世界のサムライ(SAMURAI)」と呼んで区別しています。
http://kyokushin-hamai.com/greeting/index.html
上記リンク先のページ下に引用した文章があります。
で、ちょっと気になったことがあって、「武士道は封建時代に殿様(支配者)に仕えた武士の生きる道であり、殿様(支配者)には絶対服従」とあるのですが、封建時代とは一般的に日本では鎌倉時代から明治維新までの武家政治の時代を指すのですが、戦国時代は違うよなぁと。
引用文後段にある「武道はあくまで自分自身の信念に基づいて自立・共生する生きるための道」に近い概念が戦国時代の武士道にはあったわけで、後藤又兵衛とかそうなのかなと。黒田官兵衛(黒田孝高、出家後黒田如水)の家臣でしたが、如水死後、如水の子黒田長政と折り合いが悪く浪人になりますよね。
自分自身の信念に基づいて。
大阪の陣が起こると、徳川家康から誘われますが、感謝しつつも固持して大阪城に入り、大阪夏の陣で戦死。まさに「自分自身の信念に基づいて生きたサムライ」であったわけです。
そんな武将というのは、あの頃はゴロゴロいて、どの武将か忘れたのですが、似たような時期に徳川秀忠(二代将軍)だったの思うのですが、戦でボコボコにされて乗る馬すらなくなった時に近くを通りかかった武将に馬を貸せと言ったら「雨夜の傘にて候」と呟いて去っていったという話があり、主君(筋)に絶対服従だったのは徳川江戸幕府くらいだったんだなぁと思った記憶があります。
記憶だけで書いているので細かいところは間違っているかもしれませんが、まぁ、「武士道は封建時代に殿様(支配者)に仕えた武士の生きる道であり、殿様(支配者)には絶対服従」な時代は限定されるだろうと。そういう意味で書いています。
そして「武道はあくまで自分自身の信念に基づいて自立・共生する生きるための道」には、ある時期の武士道も含まれるわけで、そこには「生き様」の美意識も含まれていただろうし、そう考えると余計に「わからない」となってしまうのです。
浜井先生の文章は、そういうことも意識して、その上で「武道はあくまで自分自身の信念に基づいて自立・共生する生きるための道」と書いてあると思っているので、ここで引用して戦国武将の生き様を比較することはナンセンスなんですが、端的に書いてあったので引用してみました。
ついでに「躾けの三原則」という名文があって、あいさつ、返事、あとしまつに関する文章は、これは端的でわかりやすいなと驚愕しました。当たり前のことなのですが、この当たり前なことを明文化し、さらに実践しなければいけない現代というのは、ぬるいのか堅苦しいのか、それは各々の判断になるんだろうな、と。
あいさつは自分から発するゆえ勇気を必要とする。
返事は呼びかけられて答えるゆえ自信を必要とする。
どちらも人間として最も大切な勇気と自信を養うきっかけとなる行動の基本でもある。
あとしまつは責任感を育てる基本である。
http://kyokushin-hamai.com/greeting/kyokushin5.html
道場では、井上雄一朗がやかましく言っていますが、彼は当たり前のこととして言っているだけで、こんな崇高な意味は考えてもいないと思います。
当たり前のことを当たり前に言っているだけ。それのみと思います。
しかし、その中には「勇気・自信・責任感」の涵養が含まれているわけで、わかりやすく説明するために浜井先生の文章を引用してみました。
こういう意味があるんだよ、と井上雄一朗に言ってみたとして、おそらく彼は「へぇ~」と言うに違いない。それは、それらを当たり前のこととして認識しているから。
道場で子ども達がワイワイガヤガヤやっていますが、井上雄一朗は「おまえら、騒ぐのはいいけど、その前にちゃんと靴や草履を整理してこい!」と。怒鳴るでもなく、言いつけるでもなく、淡々と、朝起きて顔を洗うかのようにそのような言葉を発する井上雄一朗を見て、ここは、空手の道場なんだなと実感する次第であります。
子ども達は十人十色で、それぞれに個性があり、性格も違い、それ故指導する立場からすれば対処方法も個別化しなければならないのですが、井上雄一朗は私に子ども達ひとりひとりの性格や個性を話してくれます。これは、ちゃんと見ていなければできないことです。一般部についても同じです。
ちゃんとやってるわい。と、私は破顔するだけです。
と、井上雄一朗を誉めていますが、基本的に子どもがそのまま大きくなっただけというのは間違いないわけで、子どもがはしゃぐと、それ以上にはしゃぐのは誰もが知っているところ。まぁ、基本的にジャイアンですから。
昨日は早朝、午前6時くらいに登場です。
魚を持って。
うちは市場かよ!
押忍! お世話になっております。
先日の若かりし頃の『papa』の写真を見て
sakiと失笑してしまいました・・・。
何?あの髪型(笑)。
その場に居合わせた『papa』も大爆笑!
現在の『papa』と昔の『papa』を見比べ、家族で楽しみました。(思い出しても笑える)
話は変わりますが、今日の記事で、yukikoと決勝戦を戦った相手が間違っていたので、訂正させていただきたいと思います。
決勝戦対戦相手は中嶋瑠花選手(雄信会)です。(・・;)
訂正お願いします。
今後ともよろしくお願いします。
モス!
ああ、誰かわからなくてゼッケン番号で確認したんですが、間違って391番の豊田選手って書いちゃいましたね。
訂正しておきます。
動画でゼッケンを確認した時は「392番392番」って呟きながら確認したんですけどね(笑)
パンフレットから名前を抜き出すときに391番になったみたいです・・・
今度は、私服姿の画像でも紹介しようかなと思っています。笑わないようにして下さい。
大津駅で稽古後に撮影した写真なんですが、駅まで道場生を送った時に撮影したもの。
絶対笑いますよ。
稽古頑張りましょう!