ユウスケ!-第3回西日本武道空手道交流大会

ユウスケのスケは助六の助ではないユウスケの第3回西日本武道空手道交流大会の動画です。少年部ですが、珍しくヘッドガードを着用しないでの試合です。少年部女子は着用していましたが、男子は1年生から未着用。さすが誠武館

前記事で武道とスポーツについて携帯電話を気にしながら書いたのですが、書いている大会自体が「武道空手道交流大会」って名前で、意味がわかんねぇじゃねぇかよ!と思われた方もいるかと存じますが、全然違うことを書いています。

今大会については過去記事「千葉真一杯のトロフィーはデカかった-第3回西日本武道空手道交流大会(2007.06.03)」に書いているとおりですね。

端的に書いているのですが、せっかくなので引用します。

まぁ、本大会について全然書いていないんですが、本大会においては、防具付き空手やグローブ空手や型の試合もあったので、フルコンタクト空手しか知らない選手や父兄にとっては、武道空手というグローバルな観点で資するものがあったのでは、と思います。

選手や応援団からすれば、それどころじゃなかった!って声もあるかもしれませんが、ルールや方向性の違う競技が、武道空手という目的の中で同一会場で日頃の鍛錬を競い合った本大会は有意義であったと書いておきます。少なくとも私は、そう感じました。

この過去記事の文章と前記事の文章をよく読めば、なにを言いたいのかわかると思います。結局、目指すものは同じということですね。誠武館の岩永館長の耳元で囁けば、ニヤニヤしながら「そうなんですよね~」と言うはず。絶対言うな。そして、井上雄一朗の耳元で囁いても「じゃ、サウナに行きますか!」と言うはず。絶対言うな。

そんなことはどうでもよくて、ユウスケの動画です。

もう修正してしまったのですが、過去記事でユウスケの名前を間違って記載していました。ユウスケは「侑祐」と書きます。それが「侑助」になっていました。

それを見たユウスケ。「あ、間違っている」と。
「ユウスケのスケが助六の助だ」と。

助六って・・・ユウスケ・・・

その場にいたユウスケパパは「そりゃ、助六の助というよりも助平の助だろう」と思ったそうですが、小学5年生のユウスケが「助」を「助六の助」と発想するセンス!

巻きずしといなり寿司かい!

この話をユウスケパパから聞いた時には爆笑して、私もユウスケパパと同様に「助」なら「助平」の「助」だよな、と。「助平」とは「スケベ」と読みますよ。

まぁ、そういうことでユウスケパパとは意見が一致するなと。

なぜに「助六」なのか?

ユウスケママによると、学校のバザーで助六があったからだそうです。それが記憶に刷り込まれていたんでしょうね。夢と同じですね。

まぁ、こんな話も以下の試合の動画と全然関係ないんですが、先日の慰労会で盛り上がったので小ネタとして書いています。

そうそう。慰労会当日は少年部クラスだけ稽古があって、その際に私の黒帯をユウスケに貸しました。大人サイズの帯なので長いのですが、これがまた似合うんですよね。ユウスケ。

もうそのまま稽古しちゃえ!って黒帯をさせたまま稽古させて、私はというとユウスケの短い緑帯を締めて稽古しました。柔術の選手みたいだと思いつつ。

ユウスケ、結構緊張したらしく、気合いも入っていつもよりハッスルハッスル。稽古後に、いつもより気合いが入りましたと。肩で息するくらい全身全霊込めて稽古していたもんなぁ。

いつの日か、自分の黒帯を締めてください。遠い道のりですが、努力は報われます。勝負の世界では、努力は報われない場合もありますが、努力は自分自身を裏切りません。自分自身のために頑張ってください。

さて、大会の動画です。前フリというか余談が長くなってしまいましたが、フェースガードなしの少年部男子の試合です。実は、フェースガードなしというのは試合要領を誠武館から頂いた時から知っていて、最初は井上雄一朗も間違いかな?と思っていて岩永館長に確認していたりもしたのですが、今大会ではそうだと。

過去の大会ではフェースガード着用しての試合だったので、試合前から緊張させることもなかろうと、井上雄一朗は試合当日まで黙秘。試合当日も言ってないんじゃないでしょうか。

井上雄一朗と私とは試合要項を読みながら、安全性の担保の問題や技術レベルの話をしていて「誠武館の大会は、今まで出場した大会よりも(少年部の)レベルが高いので問題ないでしょう」となりました。また、フェースガードを装着しないことにより装着した時よりもポイントや技ありが厳しくなるね、とも。

上段廻し蹴りは、ラッキーなフェースガードに当たっての技ありがなくなる、という意味で。

まぁ色々と議論の余地はあるでしょうが、こんなもんだろうと。

ちなみに、男子の試合が始まって、二人目まではフェースガードを着用していました。これは運営側の間違いですね。その間違いに気が付いて、三人目からフェースガードなしの試合になったのですが、その三人目がユウスケ。

そりゃ緊張するって話です。
自分の番から素面ですから。

遠い記憶を思い起こすと、熊本のフルコンタクトの空手の試合でフェースガードを着用したのは井上雄一朗が中学生の頃ですね。私は高校生でしたが、当時中学生の新人戦って内部試合がありました。

その際にフェースガードを着用させて試合を行ったのが最初だと思います。でも、体育館の中なので板張りの床ですよ。今みたいなジョイントマットじゃありません。私は審判をしたと記憶しているのですが、動くのでフェースガードがずれて、試合中に両方とも両手で位置を直すという仕草が新鮮でした。

23、24年くらい前じゃないでしょうか。
空手用具としてのフェースガードですね。赤色一色でした。

まだ初期の用具で、かぶり具合もイマイチじゃなかったでしょうか。それから1年か2年たって帯別という内部試合が始まったのですが、白帯や青帯(当時はオレンジ帯はありません)クラスはヘッドガードをしての試合だったような気がします。黄帯もしてましたかねぇ。記録を見ればわかりますが、現時点では記憶が曖昧です。緑帯はしませんでした。

空手用具も発達しましたねぇ。私がヘッドガードを着用して試合をしたのは1度だけです。それも空手用具ではなく、ボクシングのヘッドギアです。「これ役に立つのかいな?」と思った記憶があります。

第2回九州交流大会で宮崎であった試合ですね。第2回ですが、最初の九州交流大会でした。第1回は宮崎県下の内部交流大会だったんですよ。第2回から九州各県の支部に声をかけてオープントーナメント大会ではない、内部試合形式の交流大会になった歴史があります。

当時有名だった首都圏交流試合を意識して始めたのかなぁ。当時高校生なので深いことはわかりませんが、九州各県から少年部、中学生の部、高校生の部、一般の部に選手が出場しました。参加人数が一番多かったのは高校生か一般部ですね。当時なので。

中学生の部にも二名後輩が出場しているのですが、井上雄一朗は出場していません。あの頃、なにやっていたんだろう?井上道場にも顔を出す山浦淳仁君が出場しましたね。準優勝か3位だったような。山浦君は閉会式の時に、まるで朝礼によくある光景のように倒れましたね。彼らもヘッドギアしてたかなぁ、私も試合に出ていたので記憶があまりありません。

その時のヘッドギアはボロボロだった記憶があります。あんまり役になっていなかったような。武道場の柔道場(畳の上)での試合だったので、これいらないんじゃないか?ってずっと思っていました。

共通一次試験の一ヶ月前ってのを覚えています。12月でしたから。受験生だったんですよね。よく試合に出たなぁ。信じられないですね。決勝戦で鹿児島の新保君とやってボコボコにされて「新保は進学しないのかよ!」とか思ったり。熊本に戻る途中で熱だして死ぬんじゃないかと思った、最初で最後のヘッドギアを付けた試合の記憶。稽古しないで試合に出ちゃダメだというのが戦訓でした。

閑話休題。
ユウスケの動画記事でした。助六ネタ以外ユウスケ出てきていませんでしたね。

■ユウスケ!

白帯や習いたての頃のユウスケを知らない私に、試合後井上雄一朗が語った言葉は過去記事「ユウスケとユキコ-試合形式スパーリング(2007.06.08)」にも書いていますが、ここでも引用します。

「ユウスケは強くなりましたよ」とは、先日の大会が終わってからの井上雄一朗の言葉。白帯時代のユウスケを知らない私に嬉々として話してくれます。強くなったという言葉には、上手くなったという意味もあり、日頃の稽古では見れない「成長」を試合で見れた井上雄一朗なりの喜びが伝わってくる言葉でもあります。

一生懸命努力をしても試合などでは結果が伴わないことが多々あります。空手に限らず、どんな競技・スポーツでも。強いから勝つわけではないという言葉の根拠にもなることなのですが、やはり勝つということには色々な要素があるわけで、実力があっても、本番でその実力を発揮できなければ勝てないし、どんなに注意していてもウイルス性の病気になっちゃって体調不良で本番に臨めば最高のパフォーマンスを発揮できないわけです。

でも努力は裏切らない。何に対し裏切らないかというと、自分自身に対して。これが一番大切じゃないかなぁと思います。結局、自分が自分のために自分の肉体を通してやっているわけで、極論を言えば親や兄妹がどんなに応援しても本人が頑張らなきゃどうにもならないって話です。

そんな努力は自分自身を裏切らないということを、井上雄一朗がユウスケの試合を評した言葉に感じ、そうかユウスケは階段を一歩一歩踏みしめて前に進んでいるんだなぁと。そう思った次第であります。

井上道場Tipsでは少年部ネタが多いんですが、これは意図的にそうしています。だって、少年部面白いですから。翔太とか最高です。一般部ネタは、ハリウッドスターくらいでしょうか。

空手も、「今では子どもの習い事」と揶揄されることもありますが、見方を変えると、それだけ人口に膾炙したということでもあり、スポーツやレジャーや遊びが細分化した現代においては、その選択肢のひとつであるといってもいいと思います。だからイイ、だからダメという短絡的思考ではなく、何事であれ、物事は継続させる、が奥義なのかな、と。

ユウスケの動画を紹介するまでに、ずいぶんと余談が過ぎましたが、そして、こんな時間の投稿なのですが、これは色々と調べ物をしていたからです。

そして、前記事に書いた井上雄一朗の電話ですが、これを書いている最中にありました。
真夜中です。

「あ、ブートキャンプのDVDは道場ですか?」
「いや、俺が持ってるよ」
「ああ、そうですか。忘れちゃったかなと思ったので」
「(このまま電話を切ってくれと思いつつ)持って帰ったから大丈夫よ」
「じゃあ、オス、失礼します」
「(ヤッター)」

と、まぁ、こんな具合。

ブートキャンプのDVDとは、「ビリーズ・ブート・キャンプ」のDVDのことです。
これ、無茶苦茶しんどいエクササイズですね。

死ぬかと思いました。

でも、井上雄一朗がそれだけの用件で電話を切ってくれたので、ハッピーハッピー。


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  1. ピンバック: 八卦掌

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