■2011.06.26 一進会公式サイトの大会結果ページを記事最下部にリンク
昨日6月19日は日曜日、大分県別府市の別府アリーナにおいて、統一世界武道空手道連盟主催「第3回統一全日本空手道選手権大会」が行われました。
梅雨真っ盛りな6月で、雨、雨、雨、雨なお天気にもかかわらず、秋のJKJO全国ジュニア空手道選手権大会の選抜大会も兼ねた本大会は、悲喜交々(ひきこもごも)、真摯な選手達による物語が至る所で繰り広げられました。
それにしても、ずっと雨、雨、雨なお天気でした。
大分に頻繁に行くため、セカンドカーとしてカーショップ永田から購入したフィット号で別府まで向かいました。
フィット号には、ジョーパパが取り付けてくれたカーナビが付いているので、
「カーナビ通りにいってみよう!」
と、ワクワクしながらの往路です。
とはいうものの、
知った道なので、山越えの時の裏道に期待。
途中、昨年キャンプをしたK’s One Cafe入口を通過しましたが、よくわからない(笑)
雨雲の中を走ったわけですが、そんな道中のオマケ映像は最後に付けておきます。
そんなこんなで、別府アリーナ到着。
まだ午前9時前だったので、会場の電灯はついていません。設営も既に終わり、大会スタッフが開会式までの最終調整を忙しそうに行っており、出場する選手らはアップしたりと賑やかでした。
今回でこの大会も3回目なので、第3回。
会場内では、すぐに秋岡塾長と会えたので、歓談する秋岡塾長と井上雄一朗
本大会ではトロフィーや盾ではなく、メダルが授与されます。
重厚なメダルです。
ずらっと各クラス分が本部席の後方に並べてありました。
雨だからでしょうか?
大会の看板は入口の中に置かれていました。
あ、いつも入口の中なんですが、いつもは正面に向けてあって、この日は会場側、すなわち内側を向いていました。
たまたまかな?
ジャッジミーティングが終わると、開会式になるのですが、出場する選手たちが各コートに整列していました。
上の画像で、右側の画像なんですが、真ん中は丸刈りあとが新鮮な、マルコメ君みたいな選手で、これはジョー。
その手前にタイセイがいます。
ジョー目立つ(笑)
ジョーとタイセイがいたのはAコートで、本大会はMコート、A~Dコートの5コートでの試合です。
カンはBコートにいたのですが、デカイのですぐにわかった(笑)
そして開会式開始です。
各コートで準決勝まで(3位決定戦があるクラスは3位決定戦まで)行われます。
そして、各クラスの準決勝及び3位決定戦までが終了。
その間の画像も映像は、もちろんありません。
ジャッジスタッフなので、そんな暇はない(笑)
ひとコートにⅠ班Ⅱ班と2つの審判団がいるのですが、わたしは担当しない時でも控え席にずっと座っているので。
さっきまで熱戦が繰り広げられていたコートも、人が居ないと時間が止まったように見えます。
不思議だ。
決勝戦開始まで若干時間があったので、お弁当を食べたり休憩したり、二階席でハリウッドウスター二世やアラキョンらと喋っていたのですが、ふと階下を見ると、ユキコらがいました。
秋岡塾長と調整してた。
決勝戦には、ジョー、ユキコ、カン、りなちゃんが残っていて、それぞれ調整していたのですが、その隣りではタイセイらが座って見てた(笑)
決勝に進出した選手らは、自分が試合をするコートに整列し、決勝戦を待ちます。
ちなみに、ジョーの前にいるジャージ姿の男性は、今大会スタッフとして参加していたダイゴ。
最初はジョーの決勝戦。
応援団はこんな感じ。
って!
顔が半分隠れちゃったサキ。
ジョーは白だったので手前側だったのですが、奥の赤の方に同じ顔が二つありました。
よく見ると、タイセイとタイセイパパだった。
二人とも腕を組んでいた時は双子かと思った(笑)
つうか、
なぜ、
そっち?
各コートにはセコンド席が二つ用意してあり、各先生や道場生の関係者が座り指示を出します。
が、
そんなの無視して、サブ審判席の後方から大声で、まるで邪魔をするように大声を出すところもあって・・・
これ、名前出していいのかなぁ(笑)
応援するのは別にいいのですが、ジャッジにアピールするように、かつセコンド席に座っている関係者はほぼ無言で、だったらあなたがジャッジ席に座ればいいじゃん!と思ったわけで。
せめてジャッジ席の後方からならまだわかるんだけどなぁ。
毎回、いろいろあるなぁ(笑)
やっぱ熱くなるわけですよ。わかるわかる。
そんなことはどうでもよくて、
ジョーの決勝戦時のセコンドは、ジョーパパと秋岡塾長。
そんなジョーの決勝戦はジョーが勝ち終わりました。
おつかれ!
まだまだ課題はたくさんあるので、秋までにもっと練習だナ。
次がユキコ。
試合が終わったジョーやタイセイもセコンド席の後方でスタンバってます。
って、
なにやってんだ(笑)
わかる人はわかりますが、画像中央の後方にタイセイパパが写っていたりします。
こっち見てます(笑)
そうそう、今大会には秋岡塾少年部も多数出場していて、ショーゴとは午前中に会ったのですが既に着替えていた・・・
んで、
ミツキも出場していて、ミツキは井上道場のユメト、ゲンキ、オトハ、μ、ココねのイトコで、ミツキパパとゲンキパパとユメトママが兄弟(兄妹)です。
イトコ8人とも空手やってて、
「ミツキんとこはイトコ同士で大会できるな」
とか言っていたりします。
ミツキパパにはお声をかけてもらい、色々とお話させて頂きました。
そんなミツキはしっかり者で、ユメトやゲンキを見ていると、
「ミツキ!頼むよ!」
となったりします(笑)
そのミツキが目の前にいて、どうやら散髪したて。
「髪切った?」
とタモリのように聞くとそうだとのことで、
「いつ切った?」
と聞くと、
「昨日」
とのこと。
なるほど、試合前に身だしなみを整えたわけだね。
昔、
徳川江戸幕府が豊臣家を滅ぼすために「大阪の陣」という戦(いくさ)をやりました。
「大阪冬の陣」と「大阪夏の陣」。
真田幸村や後藤又兵衛とかの名だたる武将が散っていった戦ですね。
大阪方に木村重成(きむら しげなり)という武将がいて、この人はお母さんが豊臣秀頼の乳母だったこともあり、秀頼の唯一の幼なじみだった人ですが、大阪夏の陣で討ち死にします。
勝てる戦じゃないとわかっていたのか、兜だったか頭髪に香を焚いて出陣したという逸話があります。
討ち取られれば、武将なので首級(しるし)を取られるわけで、つまり首を切られるわけです。
それを相手方が確認するわけで、それを「首実検」というのですが、徳川家康が首実検した時に頭髪に香が炊き込めてあって、それはすなわち、首級を取られる覚悟があったからそうしたわけで、その覚悟に家康は感嘆した(感心し、ほめたたえること)という話が伝わっています。
という昔のお話を、ミツキの散髪してキレイに整っていた襟足を見ながら思い出しました。
そんなこともどうでもよくて、
ユキコの決勝戦開始、延長、そして終了。
敗戦。
ユキコの試合だけはデジカメで撮影しておきました。Mコートで主審をしている井上雄一朗にあとで見せようと思って。
3年振りの試合で、試合感もクソない状態で、あとで聞いたら無我夢中だったと言っていましたが、課題が色々と見えたのも確かなので、
Here We Go Again!
だな、ユキコ。
そう簡単には勝てないよ。
ジョーとタイセイの試合を見て、もしかしたらユキコも同じようになるんじゃとか思っていたけれど、本戦はものすごく動けていた。
同じ心配をイワハシ先生もしていて、でも本戦の動きを見て、だいぶ戻ってきているナと同じ意見だったし。
まだ時間はあるので、その課題を克服しよう!
Here We Go Again!
デ、
そんなユキコの決勝戦映像の最後に映っていたのはタイセイだった・・・
各コートの各クラス決勝戦が終わると閉会式です。
二階席から見ていましたが、ふと隣を見ると同じ顔が二つあった。
タイセイとタイセイパパだった。
ここでもかよ!
閉会式は表彰式も兼ねているわけで、ユキコは二階席から見る。
ジョーは優勝したので閉会式に参列していたのですが、女子も含め一番小さいのがジョーだったりする。
そんな中、協賛賞の発表がありタイセイの名前が読み上げられました。
慌てて二階席から一階までいくタイセイ。
最後列に並んでいました。
でも、Tシャツ(笑)
そんな閉会式も終わると記念撮影タイムです。
わたしも階下にいきました。
なぜか、タイセイを撮影する(笑)
そして、そのまま熊本に戻りました(笑)
帰路は、もう延々雲の中で視界が悪かったです。
でも、大津くらいまで降りるとスッキリ。阿蘇の方を見ると、信じられないくらい低く雲が立ちこめていて、そりゃ視界も悪くなるわなぁと納得。
そんな、日曜日のお話を駆け足で書いてみました。
第3回統一全日本空手道選手権大会を主催された統一世界武道空手道連盟の各団体及び大会スタッフの皆様、たいへんお疲れ様でした。
出場された全選手も、納得いく結果、内容、そうでない結果、内容色々だと思いますが、次に向かって頑張って下さい。
ってなことで。
<おまけ>
熊本から別府アリーナまでの道中映像。最後は帰路の大津あたり。
14分くらいあるので、暇な時に見るのが吉。
こんな感じでいつも大分にゆく・・・
ナビに騙されたり・・・
<2011.06.26 追記>
一進会公式サイトにある第3回統一全日本空手道選手権大会の結果ページは以下のリンクになります。全クラスの結果です。
ええと、
ジョーが、秋岡家の一員になっていたりしてました(笑)