2014岩見道場の昇段審査に参加する!の巻

岩見道場昇段審査3月1日は土曜日で、先週の土曜日のことなのですが、気がつくと、もう3月で、この日は、巷では高校の卒業式が行われた日だったりして、秋岡塾のユキコが該当しますが、卒業式では号泣だったそうです、ユキコ。

そんな、十代の感動のイベントがあった日は、岩見道場の昇段審査(十人組手)が行われた日でもありました。

昨年も参加していて記事にもしていますが、昨年は受審者のサトウさんがインフルエンザになっちゃって、4月にずれ込んだというのは内緒ではありません(笑)

そんなこんなで、

今年の岩見道場の昇段審査の受審者はひとりということで(昨年は秋岡塾のカンパパも岩見道場との合同審査で受審しています)、ただ、その受審者が、わたしと縁がある人で、

過去記事で何度も書いていますが、

熊本の空手界で、唯一、唯一人、わたしのことを、下の名前で呼んでくれる、呼ぶことが出来る方で、

それは、空手を始めるず~っと前から付き合いがあるからで、

わたしが小学校に上がった時、今でも新一年生は近所の上級生に連れられて集団登校しますが、新一年生なわたしを小学校まで連れて行ってくれた近所のお兄ちゃんだから(笑)

ヤツカワ先輩。

つうよりも、ヤツカワのにいちゃん、ヒロアキにいちゃんと呼ぶ方がしっくりくる、同じ町内の子どもの頃お世話になった方。

わたしの中では、スポーツ万能のおにいちゃんで、

全身バネの塊のイメージしかない(笑)

そんなヤツカワのにいちゃんの昇段審査があると聞いたのは、昨年のクリスマスカップ時。

昨年のクリスマスカップ時は、色々と忙しかったので試合会場で岩見先生からチョロッと聞いただけでしたが、やるのは年度末だろうと、大晦日にも岩見先生とは除夜の鐘突き時に会いましたが、その時は、岩見先生のハードディスクトラブルの話がメインでした(笑)

ちなみに、

ハードディスクトラブルは、まだ放置らしいです。

年が明けて、改めて岩見先生から連絡があり、スケジュール調整をし(土曜日は月出道場の練習があるから)、体調を整え、当日を迎えました。

体調を整えって、まぁ、先月は結構きつめの練習やって体が動けるようにしていたのですが、過去記事の通り、先週は月曜日の秋岡塾出稽古からハードで、当日はオーバーワーク気味で体はボロボロに近かったというのは内緒。

筋肉痛取れてねぇし!

デ、

昨年昇段審査を受けた秋岡塾のカンパパも参加されていたりして、昇段審査の十人組手開始。

開始前か終了後かわからないけど(笑)

昨年は、ユキコやハリウッドスター二世もいたので、色々ネタあったのですが、今年はひとりだけの受審なので、基本的にネタはないです。

最後の集合写真とかは撮影しましたけど、その他は岩見先生から貰った画像を使っています。

カンパパ 32年振りにやる

十人組手は、淡々と行われ、淡々と終了しました。

わたし的にはですね、結構グッとくるものがあったのです。

なんせ、物心つく前から知っているし、壮年部になってからの十人組手だし、なので、いつも以上にお喋りなわたしだったはずですが、最初から「肩パンチから腿パンチ」はやろうと決めていました(笑)

んで、

十人組手終了後は、恒例の胴上げです。

恒例の胴上げ

この日の昇段審査(十人組手)に参加された関係者、及び岩見道場生で記念撮影です。

こういう時の相方である岩見道場のイワシタさんが、この日、不在だったのが残念でしたが、一枚ごとにポーズを変えているわたし。

記念ですから!

記念撮影

あと、個別でも。

ヒラガくんとかサトウさんの昇段審査時も相手をしていて、そう考えると、カンパパもそうだし、時間というのは、物事に関係なく、淡々と過ぎて行くものだなぁと実感。

黒帯だけで カンパパと

岩見先生は、だいたいこういう時、しれ~っとフレームに入ったりします(笑)

恒例です。

ヤツカワのにいちゃんとも記念撮影。

せっかくなので、旧会派時代の黒帯(こいつも四半世紀以上前のものなのでくたびれています)も締めて、よく見ると、黒帯を二本締めていたりするわけですが、よく見ないとわからない不思議。

ヤツカワ先輩と 黒帯二本締めてます

ヤツカワのにいちゃんも空手をやっていると知ったのは、わたしが空手初めてからで、当時は「へぇ~」と驚いたもんですが、この日、十人組手で組手やって、つまり対人稽古というか相対稽古というか、ドンパチやっているのですが、

その前はいつだっけ?

と思い出すと、

たぶん、

32年か33年前(笑)

一緒に写っている写真があり、その日付が昭和57年7月3日。

西暦でいうと、1981年です。

大昔じゃん!

ともに十代の頃。

学年でいうと、わたしが今のツバサの時。年齢だと7月なので今のツバサより下のはず。

白帯でした。

そして、この集合写真撮影時、その白帯を忘れて帯無しで稽古してました(笑)

この時、たぶん、ドンパチやっていると思うのです。当時なので。

赤丸の左端はわたし、右側の方がヤツカワのにいちゃん。ヤツカワ先輩です。

岩見先生は、この時の練習には来ていないので写っていません(笑)

小さくて絶対わからんナ。

1981年当時

ここに写っているのが、花の一期生だよなぁ。

ハヤテの遠山先生とか誠拳塾の高木先生とかも写っているはず。

西暦で引き算したら33年前ですかぁ。そうですかぁ。滅茶苦茶この日のこと覚えてるんですけど(笑)

昔はデスねぇ、一度の練習に、普通にこれくらいの人数来ていたんですよ。

小学校や中学校の体育館が後ろまでパンパンな状態で練習だったです。

基本稽古とか延々やっていて、いつ終わるんだろうと意識朦朧としながらやってました(笑)

少年部少ないでしょう。

写っている少年部は最前列ですが、これ、少年部だけのクラス(通称ペンギン村)の子供も写っているので、実際に練習に来ていた少年部は、

ほぼ、いませんでした(笑)

当時は、まぁ、女子供の来る所じゃなかったですから。

武道館での練習時くらいですね。土曜日もチョロッとはいたかな。

サポーターもなかったし、スパーリングはガチンコだし、急所を蹴らない、掴まない、顔面を叩かない、

ってのは、

暗黙の了解事項で、審判いるわけじゃないし、至る処で、ドンパチ勃発している、常に緊張感がある場でした(笑)

いやはや懐かしい。

今は道具も充実し、練習体系も確立しているので、誰でも安心して練習できスキルアップできますが、当時は、まぁ、過渡期といば過渡期。

技術的には、現在の方がもの凄く進化しています。

当時は常に緊張感があったので、集中していなければならず、集中すると疲れますね、肉体的にもですけど精神的にも、なので、そういう意味では、集中力は鍛えられました。

今でも、この当時の雰囲気を持っていると感じるのは、井上道場もそうですが、岩見道場もそうですね。

安全を担保しても、空手は武道であり武術であるので、油断すると痛い目にあいます。これは集中することで回避でき、それは空手だけではなく日常生活にも(学校や会社でも)資することであるので、そういう意味では、空手は空手の道場らしいところで練習するのが一番だと、そう思う次第であります。

手前味噌ですが。

と、

そんなことはどうでもよくて、

ヤツカワのにいちゃんとは、実に32年振りくらいにドンパチやったわけですが、小学一年生の頃、ヤツカワのにいちゃんの背中を追いかけて登校していた風景を思い出したりして、これまでの昇段審査(十人組手)とは別の感情があったのですが、

受審されたヤツカワ先輩始め、ヤツカワ先輩の同級で朋友で十人目の相手をされた岩見先生、秋岡塾カンパパ、岩見道場関係者の皆様、お疲れ様でした。

お世話になりました。

特に岩見先生には、スケジュール調整して頂き、ありがとうございました。

十人組手後、岩見先生から、

「来年はツバサがやります」

とアナウンスがあり、

岩見道場のツバサは、過去記事でも書いていますが、一緒に練習した仲でもあるので、今年一年体調を整え、来年のツバサの昇段審査に呼んで貰い、

ツバサの昇段を阻止しようと考えています(笑)

さて、

昇段審査後は、月出道場の練習があるので、岩見道場の皆様にご挨拶して、月出道場に向かいました。

月出道場には、マコやユナ2号も練習に来たのですが、特練でゲンセイがゲンセイ劇場を披露したというのは内緒ではありません。

ちょ!

ゲンセイ!

ゲンセイが! ゲンセイだけに!

そんなゲンセイ劇場は次回の講釈で!

ってなことで。


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