懐かしい話 – 学園祭と演武会

あの頃井上道場戸島教室は「ちびっこギャング」たちが多く、練習内容も基礎的なカリキュラムをメインに行っていますが一般部もいたりましす。

マスターズクラスなんですが、一生懸命稽古されています。

その中のひとりにウチダさんがいて、武蔵ヶ丘道場の稽古にも出たりと、熱心に空手を学ばれています。そんなウチダさん、先週金曜日の武蔵ヶ丘道場練習後に「あのブログの記事に書かれていたMというのは、M学園のMですか?」と私に訊ねました。

「そうです。M先輩とはM学園にいたMさんです。どうしてわかったのですか?」

「同級生です」

工エエェェ(´д`)ェェエエ工工


いや~もうビックリです。

世間というのは狭いなぁと。そして、縁というのは不思議なものだと実感しました。

一昨年に「道着の話」という記事を投稿したのですが、その中で、お世話になったM先輩の話などを道着のエピソードとからめて少し書いているのですが、それだけでわかるとは。

つうか、あんな前の記事を読まれていることに驚愕です(笑)

<参考>2007.06.28 道着の話

M先輩に関する記述だけ以下に引用します。

変わったところでは、当時久留米から熊本の全寮制の高校に進学していたMという先輩がいて、私の道着がボロボロだからと自分の道着を使えと貰ったのですが、織りマークが変わっていました。観空マークはありましたが、その下はローマ字で芦原道場ってありました。

久留米時代に通っていた道場は芦原道場だったからということでしたが、当時はよく意味がわからず、最近ネットで色々と調べているとマニアだとそういう織りマーク付き道着が高値で取引されるのを知り、「ああ、使わずとっとけばよかったなぁ」なんて思ったり(笑)

そのM先輩ですが、角刈りで強面なイメージなのですが医者の息子で自分も医者になるからその勉強をしつつ空手が大好きだから熊本に来ても空手をやっているという男気のある人で、仕送りがあった日は、必ず私たちに食事をご馳走してくれていました。

武道館で稽古して、そのままうどん屋の都一に直行です。東バイパスの熊工の隣りにあるうどん屋さんですね。そこに10人くらいで行って肉うどんの大盛といなり寿司を注文して食べるわけです。食べ盛りな十代ですから、きっつい稽古後でもバクバク食べるわけですよ。

そしてM先輩は「俺も先輩にこんな感じでご馳走してもらったから、おまえらも出来るようになったら後輩に同じことやってくれ。俺に感謝する必要はないから。水は上から下に流れるから」と、当時は意味さえもわからず、押忍押忍とうどんを頬張っていました(笑)

M先輩が大学進学の為に道場から離れ、いつしかM先輩の立場に私はなっていた時、場所は違いますが井上雄一朗たちを稽古後にメシに誘い、M先輩と同じことを喋っていたのには笑いました。なるほどなぁと。そして、聞いている井上雄一朗たちは、あの頃の私同様に意味さえもわからずバクバク食べているんだろうなぁと。

水は上から下に流れる・・・

井上雄一朗たちも同じようなことを行い、同じようなことを言い、その流れをくむ後輩たちが、今現在同じようなことをしているのかなぁと思うと、人は人で繋がっていくんだなぁと。

M先輩は久留米時代にそういう道場で稽古していたので、我々が教わる時もちょっと変わった稽古でしたね。とにかくサイドやバックに回って掴んで放り投げたり、引き倒して攻撃したりと、それまで稽古していたのとは違った稽古で、これはこれで為になりました。

今思うと、サバキの稽古をやっていたのですが、当時は試合などもなく、空手の「か」の字も知らない頃なので、こりゃおもしれぇやって感じで、掴んでは引きずり倒して、逆に掴まれては引きずり倒されな日々でしたね。当時は顔を叩いちゃいけないって知らなかったんですよ(笑)

おかげで掴むクセは、結構あとあとまで残っちゃいました(笑)

そんな道着というと、色々な思い出が蘇るお話でした。

この記事を投稿した当時、岩見道場の岩見師範が「あのMって、あのM?」と聞いてきました。

「はぁ?そりゃ熊大医学部のMでしょ。違います、違います。あの記事のM先輩とは全然違います。そもそも、岩見師範が言っているMって、全然後輩じゃないですか。自分が先輩って呼んでいるんだから、その時点で違うし(笑)」

「ああ、やっぱり。医者でMって、それしか思い浮かばないや」と岩見師範。

「ほとんど一部稽古ばっかりで、二部は・・・土曜日くらいしか出てきていないので、もしかしたら、岩見師範とは・・・どうだろうなぁ・・・合宿くらいで遭遇するくらいかなぁ」と私。

「それだと、もう覚えていないかも」

ってな話をした記憶があります。

そんなM先輩と戸島教室のウチダさんが同級生だったとは、もう驚き、桃の木、山椒の木、ブリキに、たぬきに、洗濯機~!なヤットデタマン状態ですよ。

「まじですか!?」と身を乗り出し、当時の話で盛り上がります。

「あれですよねぇ、角刈りに低音なシブイ声で、髪が伸びるとオールバックみたいな感じ(笑)」

「そうです。そうです。全寮制だったので、あれで寮を闊歩するので、あの時代は寮が平和でした(笑)」

「学校に同好会作っていたんですよね。あの当時、高校であの流派の同好会があったのはM学園だけ。校風が自由奔放で、爽やかなイメージがありますが、M先輩だけ違った(笑)」

「確かに彼だけ異質(笑)」

「学園祭で演武会ありましたよね?」

「ありました」

「それ、自分も手伝いに行っているんですよ。同期や当時大学生だった先輩らと一緒に」

「私は当時怖くて同好会には入れなかったのですが、あの演武会は見てました」

「あれですよね、伝説の演武会ですよね(笑) 最後に流血しちゃって大目玉(笑)」

「そんなこともありました。流血したのは友人です(笑)」

もう懐かしい昔話なので、馬鹿笑いしながら当時を思いだし話が弾みます。

その演武会というのは、M学園の学園祭(文化祭)で行われたもので、当時の熊本の高校の学園祭としては、予算もあるし、派手だし、規模も大きく、ドラマなどで行われるような学園祭で、まるで大学の学園祭のようでした。

出店も普通にあるし、学生の自主性に任せて運営されているし、お金のある私立は凄いなぁと思ったものです(笑)

演武会では試し割りをド派手にやって、最後に組手をやったのですが、日本晴れな天気の下で、運動場での組手です。いちお、模範組手みたいな感じでガチガチにはやっていないのですが、なんせ運動場。

なにが起こるか判らないわけです。

そして、M先輩と同好会生徒の模範組手だったのですが、M先輩の左上段(ハイキック)が軽く当たり、ガチガチじゃないので本当に軽くだったのですが、相手の右眉間が切れ、流血です。

目から上の傷って、けっこう血が出ますから、もうそれまで盛り上がっていたのが、いっきにドン引きです(笑)

相手、顔面真っ赤です。

あちゃ~。

急遽模範組手中止になり、そこで演武会も終わったと記憶しています。

深い傷でもなく、軽くカットしただけなので、普通にガーゼ当てていましたが、あとで聞くと学校から大目玉で、同好会解散だったような気がします。

当時は確か校長が外国人の先生だったような・・・

「今日はありがとう。あとは適当に楽しんでくれ」とM先輩。手にはビフテキの折を持っていて「これ、校長が本国から取り寄せた牛肉だから、旨いよ」と。

いやいや、それより同好会は大丈夫ッスか?と思いましたが、このビフテキが無茶苦茶旨くて、未だに忘れられません(笑)

最後に同好会のみんなや我々で記念撮影しました。体育館の前だったような気がします。

M学園での演武会

同好会の方と思うのですが、写真撮影されていて、もしかしたら写真部の方かもしれませんが、何枚か頂きました。その内の一枚です。

久しぶりに見ると、私は当時15歳か16歳。M先輩も16歳か17歳。私が入門して最初に色々教えてくれたK先輩や、熊大法学部のSさん、工学部のHさん、文学部のSさん、それに大学院のTさんとかの顔もあって、「うわ~超なつかしい!」です。

井上雄一朗は、この年の12月に入門するので、まだ入門前に独学で柔軟やら基本をやっていた頃。井上雄一朗は当時12歳で、今だとユウスケやダイヤや光やエムな頃。

ゴウセイは、まだ小学生だな(笑)

あ、イシイやIの顔もあるなぁ。みんな来ていたんだ。イシイやIは私と同級なので、秋岡塾の秋岡塾長と同期になりますね。この頃すでに秋岡塾長も入門しているはずですが、まだ熊本市内の道場にはあまり顔をだしていない頃かなぁ。

M学園は制服も替わり男子校から男女共学になったので、この画像からは往時を偲ぶことしか出来ませんが、あの頃はM先輩のようにバンカラで硬派な人もいたM学園。

今じゃ代継橋道場の光が通っている学校だもんね(笑)

M先輩、過去記事に書いたように、医者の息子で自分も医者になるために勉学に勤しみつつ空手もやっていたのですが、ウチダさん曰く、彼も医者になったとのこと。

たしか、「おれに手紙を書く場合は、住所はいらない。K市Mで着く」と言っていたので、ネットで検索するとすぐさま発見です(笑)

おおう!

角刈りじゃねぇ!(笑)

でも、当時と同じ眼光で「こりゃ、医者の目じゃねぇだろ」と突っ込みたくなりました。

笑顔を作っても、目が笑っていない(笑)

性病は皮膚科だとか色々教えてくれたなぁ。空手以外にも(笑)

人にはそれぞれ歴史があり、自分が主人公のドラマを持っているのですが、そして、それは他人には些細なことの集まりであることが多いのですが、人生という物語の中で必ず登場する人物が、他人の物語にも登場する場合、人は「縁」というものを意識します。

一別以来幾星霜。

この演武会の数ヶ月後に入門した当時12歳の井上雄一朗がその後「井上道場」を興し、それに当初から携わった私がいて、戸島教室にウチダさんが入門。

稽古風景やどうでもいいことをブログで書きつづり、その中の一文章で、人と人とが繋がる。

不思議なもんですねぇ。

一別以来幾星霜。

秋にM学園の同窓会があるとのことですが、ウチダさんにはM先輩が来るのであれば「彼は、あの頃のように今でも空手着を身にまとい、道場で汗を流しています」とお願いしています。

振り返ると、時間的には数年間という短い時間なのですが、二度と味わうことのできない濃い時間の中での数年間なわけで、古びた写真一葉から思い出されることは溢れるくらいあり、年輪を重ねるということは、時間の濃度を知ることか、と思ったりするわけです。

結局、人は人でしか学べないので、人と接する道場というのは、素晴らしい場所であると。

空手やっていて、よかったなぁ。

ってなことで!


懐かしい話 – 学園祭と演武会” へのコメントが 4 点あります

  1. あぁ。やっぱりアタシんとこだぁ
    ゚+。(*′∇`)。+゚
    学園祭は無くなっちゃったんですよねぇ…Σ( ̄□ ̄;)
    勉強が難しいです!!M学園ゎ!!

  2. そう。光のとこなのよねぇ。

    今だと。

    学園祭なくなっちゃったんだ。
    時代かなぁ・・・

    って、近所でまた火事!
    こんな時間にたたき起こされた!

    窓空けていたけど、数メートル横をサイレンをガンガン鳴らして消防車突っ走っていった。

    これは、誰でも起きる!

    聞き耳を立てると、消防無線の音が雨音に混ざって聞こえる。

    どこだろう?

  3. 先輩ん家の側でまた火事ですかっ!?(◎-◎;)
    怪我人がでないといいですねぇ…。今日は電車で寝て、行き過ぎました…(汗)河原町から歩いて帰りました(笑)

  4. 花火騒動だったみたい。
    よくわからん・・・

    電車通学かぁ。
    そうだよなぁ。

    熊本市には市電があるからねぇ。

    現在日本で走っている市電っていくつだろう?

    6つ?

    九州だと鹿児島市と熊本市だけのはず。

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