井上道場では、12月のクリスマスカップと3月のペガサスカップが大会の基本で、9月の新人戦や晩春初夏の白蓮九州大会や一進会杯などイレギュラーにエントリーし、日頃の鍛錬の成果を試すわけですが、直近の大会は日曜日のペガサスカップでした。
既に記事を投稿しているので、その内容等は過去記事を参照してもらうとして、毎年恒例な大会のひとつなのでデーターベースに色々あります。
大会前の練習も、この時期はスパーが多めになったりして、昔のを見ると、色々と面白いです。
今からちょうど三年前。
この年は、ユウスケ、ダイヤ、リョウヘイ、ヒカリ、ひかり、エムが六年生で、小学生最後の大会でしたが、当時、ケイゴ、ショウタ、リョウは二年生で今のタクミ、ゲンキ、ヒカル、ヒロト、ジュンヤ、アラシなどと同学年でした。
そんな、三年前のペガサスカップでの集合写真を見てみる。
よくわからないので、それぞれアップで。
当時年中さんなタクミも。
2009年3月29日です。ちょうど三年前。
顔のアップだと、今と変わらないですね(笑)
タクミが眠そうなだけで。
ふと、
では一年生の頃はどうだったか?
と思い、ペガサスカップではなく、クリスマスカップの画像を見てみました。
2007年12月16日です。
開会式直前の選手集合画像。
もう全然わからないでしょう(笑)
タイセイママとか写っているんですけどね。
でも、
一年生のところに、ちゃんとケイゴたち写っています。
開会式で、なぜか一年生を数えだし、そして踊り始めた当時のケイゴ・・・
フリーダムだった。
ショウタは何故かファイティングポーズですが、ショウタの左下にいる顔半分な坊主頭は、当時年長さんなリュウトのはずです。
そして、この一年生の後列にはリョウもいます。
横顔だけど、すぐわかるリョウ。
おばあちゃんと同じ横顔だから。
黒い上着を着た大会スタッフは、タイセイパパですよ。
ちなみに、
入賞者記念撮影というのがあり、全クラスの入賞者が並んで記念撮影するのですが、当時の井上道場は、女子がイケイケで男子は「おまけ」みたいなもんだったので、この入賞者記念撮影にいるのは、小二女子で優勝したアイリ、小四女子三位なユリナ、小五女子三位なひかりだけだったりします(笑)
デ、
この入賞者画像なんですが、後方に保護者が写っていて、
たぶん、
たぶん、
これは、リョウのママ(笑)
なんで表彰式終わった入賞者記念撮影時に本部席方面にいるんだろう?
と思ったのですが、この年、リョウはクリスマスカップのプレゼント大会で特賞のマウンテンバイクを当てています。
リアル・チャンピオン!
なので、それを受け取りに行っていたのではないかと、そう思っています。
その際に、入賞者記念撮影の画像に偶然写り混んだと。
ものすごい偶然だ。
これ、撮影しているのわたしで、当時は面識なかったはず。
そんなことはどうでもよくて、
三年前のペガサスカップに戻ります。
ユウスケらが六年生だったので、そしてユウスケやダイヤが頑張った大会だったので、そういう視点で当時ペガサスカップの記事を書いていたように思います。
当時低学年だったケイゴやショウタは、おまけ扱い(笑)
ショウタはネタ要員として、常々ダイヤと共によく記事に登場していたけど。
そんな、当時のケイゴら。ペガサスカップ時。
開会式前と思うので、朝です。
顔が寝起きですね。ケイゴもリョウも。
タクミは、もともとからこんな瞳なので、寝起きで目が腫れていても全然わかんない。
ショウタはゼッケンを貼って貰っているとこ。
ケイゴ(タクミ)、ショウタの画像は過去記事で使用している画像なので、既に見たことあると思います。
リョウねぇ、当時は、この上着ブカブカだったんだなぁ。
そんな第6回ペガサスカップが開催されたのは、2007年3月29日。
ええ、
新年度前の、新学期前の一番忙しい日曜日で、非難囂々だった時ですね(笑)
これも紆余曲折あってなんとか年度内開催になりましたが、大変だった。
というのを思い出しましたが、それはこの記事とは全然関係ありません(笑)
この一週間前の土曜日に、代継橋道場で最後の調整練習、主に試合形式の組手練習をやっているのですが、その映像があって、
久しぶりに見たら、
誰が誰だか全然わかりませんでした(笑)
いや、マジで。
周りで声を出している子の内容から、青帯はハヤトということがわかり、動きもハヤトで、ただ、今と比べるとあまりにも小さいので、
ハヤト、こんなに小さかったんだ!
と驚いたわけですが、
相手のオレンジ帯の子が全然わかりません。
わたし、主審しているのに(笑)
こんな子いたっけかなぁ・・・?
どんくさいけど、キレのある突きや蹴りをたま~に出すなぁ・・・。
よ~く見ると、
ケイゴ(笑)
工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
うそ~ん!
この約一ヶ月前に、同じくハヤトと選手コースで組手して、左ヒザをレバーにもらい、一発でノバされているケイゴで、もうハヤテ相手なので警戒しまくり(笑)
そのトラウマは5年生になるまで無くなりませんでしたから。
ああ、ケイゴねぇ~
ヒザもらった1ヶ月後かぁ~
と、納得(笑)
豪快に空振りする姿を見て、
あ、やっぱケイゴだ、これ。
と。
そんな、ケイゴvsハヤトを見てみる。
ケイゴ、この頃からジョルトブロー的突きなんだよね。
たまに、ガゼルパンチ出す(笑)
思ったのは、動きが、なんかタクミチック。
タクミが弟なので、タクミが当時のケイゴチックなのですが、兄弟なので似てるよな、と。
そんなケイゴとハヤトのあとはショウタとリョウです。
リョウは、この数ヶ月前に入門したんだよなぁ。
ショウタはシルエットですぐわかったけど、相手の白帯がリョウとわかるまで結構時間かかりました。
蹴り見て、
ああ、リョウねぇ~
と。
小さい(笑)
まさか、三年後の同じ時期に、本番(大会)の準決勝戦で対戦するとは、
当時は神さまもわからない(笑)
副審は、組手練習やらない白帯の子とか立たせてやっているので、判定グダグダです(笑)
知っている人に上げる、みたいな。
そんな、ショウタvsリョウを見てみる。
リョウなぁ、上段前蹴り損したなぁ(笑)
ショウタの、
セイッ!
セイッ!
という甲高い気合いを聞けるのも、あと少しなんだろなぁ。
今年くらいから変声期迎えちゃうだろし。
見ると、リョウのスタイルは今とあまり変わらない。
低学年の頃はいいけど、上級生になると技も低学年に比べて的確になり、急所を攻める組み立てでくるので通用しなくなる。
なので、
練習時には口を酸っぱくして構えや出す技、タイミング、ディフェンスを言っているのさぁ。
現在の二年生のタクミ、ゲンキ、ヒカル、ヒロト等と対戦したら、当時小二のケイゴ、ショウタ、リョウはあっという間にやられちゃうな(笑)
ジュンヤでも当時のケイゴに勝つ。
ねえ~。
この三年間で随分とうまくなったよねぇ。
練習したから。
当時のペガサスカップの記事で、何を書いているかというと、こういうことを書いています。
ケイゴとショウタのとこのみ。
ケイゴとタクミの爆笑兄弟。ユウスケと同じくらいの稽古量をやり始めたケイゴ。三カ年計画で井上雄一朗が指導中です。「ケイゴは・・・アレなので、まぁ、高学年になってからだな」
ケイゴが小一の頃から、井上雄一朗は私に「あいつは絶対やります」と明言していますからね。道場ではいつもいじりますが、学年が上がるにつれ色々自覚してきたのにはビックリです。あと三年はじっくり観察しようと思っています(笑)
たっくん風邪気味でしたが復活したみたいで、もう騒がしいったらありゃしない!
タクミ!大人しくしろよ!
って、ケイゴの弟なので、それは無理(笑)
ゼッケンを貼ってもらうショウタ。ショウタの初戦を見てビックリしました。
「ショウタ別人になってる!」
ツッパリツッパリ、ドスコイドスコイなショウタで「それは反則だショウタ!」と何度も何度も叱られきましたが、私も叱りましたが、ちゃんと突きを出しています。
確かに月曜日の練習に来て頑張っていますが、この急変はなんだろう・・・と思っていたら、井上雄一朗が「月曜日の練習で、ショウタには突き方だけの猛特訓しました」とのこと。
特訓したからといって、即反映できるものではなく、それは教える方と教わる方のベクトルが同じ方向を向いたから、すなわち、ショウタが一生懸命学んだからなわけで、そう思うと「ダイヤでさえも5年生の最後で目覚めたというのに、あのショウタがなぁ・・・」と涙です。
あ、涙はウソです。
三年前の今日、投稿した記事、三年前に思ったこと。
三年経って、
この三年じっくりとケイゴを観察して、
こう思いました。
おかしい!
ええ、
おかしいです(笑)
ケイゴが一生懸命練習しだしたのは、小二の夏からです。
昇級審査を受けると、帯の色が変わる。
と知ってから(笑)
それまでは、ひと月に数回見るだけの道場生なケイゴでした。
なので、小一当時のケイゴの画像は貴重(笑)
この動画の数ヶ月前から一生懸命練習しだしたケイゴで、一生懸命やると別次元なケイゴで、武蔵ヶ丘道場はもとより、代継橋道場にも戸島教室にも練習に出て、月曜日の練習にも出て、もう練習練習また練習な日々。
小一、小二夏までのケイゴを思い出すと、
おかしい!
となるわけです(笑)
確変って、こんなに続かないんだけどなぁ。
引用した文章には「三カ年計画」とありますが、今では五カ年計画で、それも三段に分かれています。
五年が三段ではなく、第一段として五年、第二段として五年、第三段として五年です。
第一段は小学生時代。基礎を固める時期。
第二段は中高時代で成長した体に適した動きを固める時期。
第三段は第二段までに固めた基礎を応用する時期。
全部で15年(笑)
なんか、
二年後くらいに、
「ダンサーになります!」
って空手やってないかも(笑)
日露戦争の日本海海戦で海軍作戦参謀の秋山真之がロシアバルチック艦隊を殲滅する作戦を立てましたが、あれは七段構えのやつでした。
第一段から第七段まであって、それで殲滅する予定だった。
実際は、確か第一段は行われず、第二段と第三段で勝負ついたと記憶しています。
猛練習やってたからですね。海軍。
そんなこともどうでもよくて、
次の三年後には、何を思っているのだろうと考えると、とても愉快で楽しいです。
ケイゴ、ショウタ、リョウの三年前はこんなんだったけど、
あれから一生懸命やって、今があり、
そして、
これから、がある。
三年後には、
やはり、
「やっぱ、おかしい!」
と思いたいです。
継続は、力なり。
ってなことで。
<おまけ>
組手練習は少年部クラスで、リョウは当時から一般部クラスまで残って練習していたので、一般部クラスで初級型の「平安その1」を習っている動画がありました。
もうですね、
単なる挙動不審な子ども(笑)
ねぇ~、今だと下級生に教えられるもんな。
継続はチカラなんだよ。
手刀廻し受けが、ダチョウ倶楽部(笑)
ヤー!
そうなるよね、最初の頃は。