暦の上では立秋(りっしゅう)で、もう秋なのですが、毎日暑いですね。
暑中お見舞いは、大暑(一年で一番暑いとされる日。7月23日頃)から立秋(8月8日頃)までの間に出す、季節の挨拶状なのですが、井上雄一朗に一枚の暑中お見舞いが届きました。
Boys Be Ambitious!と叫びたくなる、それはそれは一服の清涼剤にも似た、爽やかな風のような、暑い夏を一瞬忘れてしまいそうな、そんな暑中お見舞いでした。
話は6月に遡ります。
「さかのぼります」と読みますよ、ハリウッドスター(笑)
2008年6月29日は日曜日で、大牟田市民体育館で誠武館主催による「2008空手オリンピアオープントーナメント 第4回西日本武道空手道交流大会」が開催された日でした。
井上雄一朗と私は審判スタッフとしてこの大会に参加し、その記事も過去記事(2008.06.29 第4回西日本武道空手道交流大会!の巻)で紹介しているのですが、この大会である邂逅(かいこう)がありました。
過去記事では触れていないので、本記事で書きます。
井上雄一朗が主審をしていたある学年の試合の時です。
それはそれは白熱した接戦で一進一退が続く好勝負な試合がありました。どちらが勝ってもおかしくない内容でしたが、勝負なので勝ち負けがあります。
JKJOルールなフルコンタクト空手の部なので、マスト判定でどちらかに必ず旗が上がります。
そして勝負がついたわけですが、負けた選手は悔し涙を流し、歯を食いしばり退場していきます。その選手に井上雄一朗が近づき、何やら声をかけていました。
「はは~ん。はては、また試合前か試合後に「うぉぉぉ~っす」ってなへんてこりんな気合いを入れたんだな。だから注意してるんだ」
と思っていた私。
その試合については、好勝負という記憶の他には、「はは~ん」って思ったことくらいしか覚えていなかった私です。
審判団は交代制なので、自分らが担当しない際には、リザーブ席にいたり、トイレに行ったり、他の試合を見たりするのですが、井上雄一朗と並んでいると、見知らぬご婦人とその母上と思われる高齢のご婦人が井上雄一朗に声をかけてきました。
「私は知らないけれど、きっと井上雄一朗の知り合いなんだ」
と思って話しやすいように距離を置いたのですが、しらばらくすると井上雄一朗が戻ってきました。
ふとご婦人らに目をやると空手着を着た少年もいます。
「はて?秋岡塾の子でもないし、誠武館の子でもないし、どこの道場だろう?」
と思っていて、井上雄一朗に「知り合いなの?」と聞くと「いえ、さっき初めてお会いした方ですよ」と。
な、なにぃぃぃ!
「デ、なんだって?」
「さっき審判していた試合でもの凄い激戦あったじゃないですか」
「あ、あのどっちが勝ってもおかしくない試合ね。あれはいい試合だったね」
「負けた子が肩を落とし泣いて退場していたので『いい試合だった。卑屈になる必要はないよ、胸を張って戻りなさい。立派だった、次も頑張れ』と声をかけたんですよ」
「あああああ、あれってそういうこと言ってたの。俺、てっきり注意しているとばっかり思ってたよ」
「・・・・・・」
「だって、公平性の担保の観点から、試合前試合後の気合いは禁止ってなってるけど、全然理解していないセンセイ多いじゃん」
「・・・・・・」
「デ、それがどうつながるの?」
「さっきのご婦人、その子のお母さんなんですよ。もう一人はおばあちゃん」
「あああ、そういうこと。一緒にいた子は、あの子なわけね」
「そうです。自分の試合をジャッジしてくれた主審の先生にこう言われたってお母さんに話したんでしょうね。それで『ありがとうございました』ってわざわざ自分のとこに挨拶に来られました」
「立派なお母さんとおばあちゃんだね。だからその子も立派なんだ」
と、いうようなことがあったのです。
よくわからないのですが、その子は、もしかしたら負けて褒められたことなんか無かったんじゃなかろうかと後日思ったりしました。
よく試合場で負けてボコボコにされてる子見ますよね(笑)
笑い事ではなく、あれは見苦しいし、社会体育としての観点から見ても、一生懸命やってきた選手に対する冒涜と思い、記事内でもよく取り上げたりするのですが、当事者間しかわからない問題もあるという点をさっ引いても、公衆の面前で、なおかつ同じ年頃の子どもたちがいる前でアレはない。
うん、アレはないなぁ。
指導者がよっぽど自信ないからとしか思えません。
練習で叱ればいいだけで、本番では、基本的に「おつかれさん」だけで十分と思うのですよ。翌日の練習で叱ってもいいし。
反省点は反省点として課題として認識し、それをクリアするよう指導するなり本人が頑張ればいいだけで、一番悔しいのは選手本人なんですよねぇ。
それでも「なんだそりゃ!」ってな内容の戦いをする選手がいるのも確かで、難しい点だとは思いますが、そういう点をどういう風にクリアして成長させるかってのも指導者の務めと思えば、やはりアレは出来ないと思うのですよ。本番時には。
別にエムがそうとは言っていない(笑)
徐々にエムも上達してきていますから。ダイヤがそうであったように。
それでも、練習時は、もう井上雄一朗から雷が落とされるわけで、それがないとエムやダイヤじゃないなぁと思う今日この頃だったりしますが、本番だとダイヤは相手が誰であろうと自分が持っているものを全部出すわけで、相手が自分よりスキルがあるとボコボコにやられちゃう。
それでも、いまある全てを出し切るダイヤは偉いわけで、何度も書いていますが、練習中にあれだけ雷を落とされ、毎回毎回叱られるダイヤでさえ、本番では「よくやった」としか言われない。
事実、ダイヤはよくやる。
エムは・・・
まぁ、頑張れ(笑)
ちと話題がそれましたが、あの子が負けて褒められたことがないかどうかはわかりませんが、一生懸命やった姿に対し井上雄一朗が発した言葉は、別に井上雄一朗だけが感じたものではなく、私もそうで、そういう言葉をあの子が真摯に受け取ったことにカラテキッズのピュアな心を感じました。
少なくとも、親御さんや肉親(おばあちゃん)らに立派に育てられているんだなぁと。
井上雄一朗が発した言葉は、別に彼を元気づけようとか勇気づけようとか、そういう意味で発した言葉ではなく、ありのまま、見たまま、感じたままを描写した言葉であるのですが、その言葉を受け取った子は、きっと心に刻まれた言葉になったんでしょうねぇ。
そして、その子から井上雄一朗宛に暑中お見舞いが届きました。
暑い夏に届いた爽やかな風のようでもあり、一滴の光のような暑中お見舞いです。
火曜日だったと思うのですが、私の自宅から代継橋道場に向かうときに、近所の郵便局に車を寄せ、郵便ポストが助手席側にあるので「先輩、このハガキをポストに入れてくれませんか」という言葉とともに渡されたハガキをポストに投函しました。
彼への返信です。
これまた暑中お見舞い。
ちなみに、ちょっと車が前だったので、体を捻ってポストに入れたのですが、その際、軽く脇腹がつっちゃったというのは内緒です(笑)
その子の名前も所属道場もわかっているのですが、本記事では必要ないので省いています。
秘すれば、花。
なのです。
130年ほど前にウィリアム・スミス・クラーク (William Smith Clark)というアメリカ人が来日しました。
植物学が専門で自然科学を日本に教えに来た外国人ですね。
北海道の札幌農学校に赴任したわけです。
その外国人が有名なクラーク博士です。
Boys Be Ambitious(ボーイズ・ビー・アンビシャス)という言葉で有名ですね。
少年よ、大志を抱け
と訳されている、中学校あたりでよく聞いた言葉です。
boysなので複数形です。なので正確には「少年達よ」になるのでしょうが、語感的には「少年よ」の方がいいわけで、このあたりは深く考えてはいけない(笑)
この言葉、全文だとこうなるそうです。
Boys, be ambitious like this old man
likeは「好き」ではなく「~のような」って意味で、this old man(この老人)ってのはクラーク博士本人のこと。
で、意味は、
「この老人のように、あなたたち若い人も野心的であれ」
ambitious(アンビシャス)ってのは「功名心」とか「野心的な」って意味があるんですね。
ガツガツしている大きな望みとか志って感じがして、いい言葉です。
とても男性的な単語だと思います。と書くと、マ、いろいろとお叱りを受けるこのご時世ですが、男女関係なく、ギラギラした目をしている、そういう若者に似合う言葉だな、と。
一枚の暑中お見舞いと6月の大会のあのシーンを思うと、クラーク博士の言葉を思い出したわけで、老若男女問わず、空手で汗を流している全員に、やはり、そう思うわけであります。
Boys and Girls Be Ambitious!
まだまだ暑いです。