友あり、遠方より来たる。また楽しからずや

とは、『論語』の有名な冒頭の第一節の言葉ですが、人口に膾炙している読み方だとこうなります。

子曰はく、学んで時にこれを習ふ。また説(よろこ)ばしからずや。朋あり遠方より来る、また楽しからずや。人知れず、而(しこう)して慍(いか)らず、また君子ならずや

子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎

有名すぎるほど有名な冒頭なので、絶対に国語の時間に習っているはずです。「まなんでときにこれをならう」って。
読み方や解釈は色々あるんですが、音として、この冒頭は絶対に記憶があるはず。

で、読み方や解釈を無視して「友あり、遠方より来たる。また楽しからずや」と記事タイトルにしてみましたが、昨日のプチ旅は、ラーメン探求の旅ではなく、こんな感じだったのかなぁと。

実質パソコン解析の旅でもあったわけですが、これは、その場にいた人間しかわからないので省略(笑)

ふと、戻りの車の中で、この『論語』の冒頭がよぎって、『論語』的に言うならば、この文章は学問の楽しさをいっているのですが、何も学問に限らないなぁと。

『論語』の第一巻の第一は「学而編」と名前がついているんですが、その一番最初の文章がこれなわけで、「学而編」には孔子の16の言葉があるのですが、16番目の言葉にこうあります。

子曰く、人の己(おの)れを知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患(うれ)えよ。

子曰、不患人之不己知、患不知人也

意味は「他人が自分を認めないのは問題でない。自分が他人を認めないほうが問題だ」って感じなんですが、学問について言っている言葉なので、学者の社会的位置を考慮した深い言葉なんですが、「謙虚」って意味も含んでいると思っていて、孔子様はえらい言葉を残しているなぁと思いつつも、

世の中、そう謙虚ばかりにしていても、その謙虚さに付け込んでくる悪党がたくさんいて、案外近くにいたりするもんなんですよ孔子様、って言いたくなります(笑)

久しぶりに『論語』を思い出したので、書棚から引っ張り出してきました。私が持っているやつは貝塚茂樹先生の訳注本です。随分と面白がって読んでいたなぁ・・・

昔は宮本武蔵の『五輪書』や『論語』なんかを寝っ転がって読んでいたんですよ。漫画と一緒に(笑)
読めない漢字とかあって、でもそれが面白くてよく読んでいたんですが最近の子どもは読んだりするんでしょうか?

山岡鉄舟の『武士道』なんかや勝海舟の『海舟座談』なんか最近読み返したりしているんですが、幕末三舟の中では、山岡鉄舟の義兄である高橋泥舟が好きだったりして、新選組三部作で有名な作家の子母澤寛が書いた高橋泥舟が主人公の小説『逃げ水』なんかも読み返したりしました。

槍の伊勢守ですね。高橋泥舟。

幕末三舟とは、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の三人ですが、『逃げ水』では、さすがの山岡鉄舟も脇役ってのが面白い。維新後、世に出ることもなく赤貧ながらも清廉に生きた高橋泥舟の生き方は不器用であるかもしれませんが、胸うつものがあります。

子母澤寛の小説なんで、もう新選組が大活躍ですよ。途中から高橋泥舟全然出てこなくなったりして、これも面白がって読んでいるんですが、子母澤寛は昭和三年に『新選組始末記』を世に出すんですが、当時はまだ新選組を知っている多くの人が生き残っていた時代なので、描写がダイナミックですね。

近藤勇や土方歳三や沖田総司を直接見たことがあったり、話をしたことがある人が生きていた時代に取材した方ですからねぇ。でも、色々創作もあったりして、それを見破ったりするのも読む楽しさだったりします。

話がだいぶ逸れてきましたが、山岡鉄舟が十五代将軍徳川慶喜の恭順の意を官軍に伝えるために単身乗り込んでいくんですが、その場面は、どんな読み物を読んでも熱くなります。

朝敵徳川慶喜家来山岡鉄太郎大総督府へまかり通る!

って名セリフを言う場面です。はい。

さてさて。
ネタもないので、どうでもいい話で文字を繋いできましたが、冒頭に『論語』を持ってきたので、この言葉で締めましょう。

結局、私も「論語読みの論語しらず」。

ってなことで(笑)


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