第1回熊本県錬成大会 – 極真館熊本菊水道場

第1回熊本県錬成大会の看板一昨日の8月5日(日)に熊本県玉名郡和水町の和水町体育館において、極真空手道連盟極真館本部直轄熊本菊水道場主催の「第1回熊本県錬成大会」が開催されました。

井上道場からは、選手は出場していなかったのですが、行ってきました。

蝉しぐれと入道雲と紺碧の青空と濃い緑とアスファルトから沸き立つ陽炎と頬を伝うひとしずくの汗があり、夏だな、と空手の試合とは関係のないことを思い、眩い陽の光に目を細めながら駐車場から会場に向かいました。

その日は私事があり、全試合見ることなく途中で戻ったのですが、いいものを見せて貰いました。
なので、今回の記事は、私の私による私のための随筆になります。

蛇の足で野暮ですが、随筆とは、大辞林によると、

自己の見聞・体験・感想などを、筆に任せて自由な形式で書いた文章。随想。エッセー。

とあります。

だから、私の私による私のための、と書いているわけです。
長編です。はい。

和水町は「なごみまち」と読みます。平成の大合併で昨年誕生した新しい町です。旧菊水町と旧三加和町が合併して「和水町」になりました。

平成18(2006)年3月1日誕生なので、まだ1年半くらいしか経っていません。試合会場の和水町体育館は、旧菊水町立体育館です。なので、菊水体育館と言われた方がしっくりくる熊本人は多いと思います。

だからでしょうか?プログラムには和水町体育館ではなく、菊水町立体育館と明記してありました。

大会プログラム
(クリックで拡大表示します)

過去記事でも書いていますが、極真館熊本菊水道場責任者の木下雄一朗先生は、井上雄一朗や私の後輩で、木下先生が空手を始めた小6の頃から知っています。それはそれは可愛い坊やでした。

「先輩、見に来てください!」

と、何度も言われていて、これは稽古を見に来てください、という意味なのですが、色々と忙しく、なかなか木下先生の道場に足を運ぶ機会がなかったのですが、「今度錬成大会をやります。ご足労願えれば幸甚であります」と、こんな堅苦しい言葉を使ったわけではないのですが、そういう感じに受け取れるほど真摯な招待を受けました。

「うん。わかった」

まぁ、答えは簡単なわけで、毎年3月頃「ペガサスカップ錬成大会」という大会を主催している極真館熊本菊水道場で、この「ペガサスカップ錬成大会」には井上道場からも選手が出場し、直近の大会については、「大会情報」にもTipsの過去記事「第4回ペガサスカップ練成大会のCATVオンエア」にも書いていて、Tipsの過去記事では、木下先生の懐かしい話なども書いた記憶があり、それとは別の大会ということで、是非行こうと、こう思っていた次第であります。

その割には最初から顔出せなくてゴメンね。

和水町体育館は、とても交通アクセスのいい場所にあります。私は初めてだったのですが、木下先生も場所を説明する際、そしてナビゲーターとして一緒に大会を見に行った井上雄一朗も同じことを言います。

「高速降りて、右折したらすぐです。もうすぐわかります」と。

ほんと、高速降りたらすぐでした(笑)

高速を「菊水インター」で降りて、右折すると、登り道になっています。右手にはコンビニエンス・ストアがあり、その道は随分と昔に通ったことがあって、あれから随分と経つけれど、このあたりの風景ってのは変わらないなぁ、と。

高速を降りて右折し、200メートルほど進むと今大会の看板がありました。木下先生が言っていた通り!

看板発見

駐車場に車を停め、ドアを開けて外に出ると、蝉しぐれと灼熱の太陽のお出迎えです。

駐車場より和水町体育館を見る

駐車場は和水町体育館より一段高い場所にあり、階段を下ると体育館の正面入り口なのですが、階段付近に見たことある顔がひとつ、ふたつ・・・

あ、由莉奈!

と思っていたら、もの凄いスピードで亜衣利がダッシュしていました。

井上道場の宮崎姉妹。ということは、将弥もいるわけだと思いつつ、体育館入り口に近づくと、そこでやっと由莉奈たちが気づきました。

そういえば、秋岡塾からも選手参加しているようなので、ユキコとサキもいるんだろうな、と思いつつ会場に入ると、そこは低温サウナ(笑)

よりも低温かな?
蒸し暑いことに変わりはないですが、夏だし、試合やってるし、まぁ、こんなもんだろうと。

既に試合は始まっています。
試合コートは一面のみ。出場選手応援団の歓声が蝉しぐれを消す勢いで聞こえてきます。

第1回熊本県錬 熊本県錬成大会

人混みの後方から見ていたのですが、とりあえず木下先生に来たこと告げないと、と本部席あたりに目をやると、会派の正装姿で汗だくになっている木下先生を発見。

目を凝らすと、その隣が私の席・・・

「あれ?俺の名前が書いてある。ちと行ってくるわ」と井上雄一朗に言うと本部席へ。

汗だくな木下先生。
「押忍、押忍、押忍・・・」と何回くらい言っていたんだろう・・・

大会というと、自分が出場するか、セコンドにつくか、審判するか、チケット買って客席で見るかしかないので、どうもこういう席は居心地が悪い(笑)

気を使ってくれて有り難うね。木下先生。

そういえば、大会直前に電話があり「今回は、新人戦というか初級クラスに特化した大会なので、ペガサスカップと違い、自分が見に来て欲しい方しか招待していません」と言っていたような。

そんなこんなで、どうもこういう目立つ席は居心地が悪い(笑)
幕末でいったら、木下先生は雄藩所属なわけで、井上道場はさしずめ宇和島藩。雄藩よりも石高は劣るけれど(7万石だけれども10万石格)、大村益次郎を招聘して、あの幕末に自力で蒸気船を建造した藩のひとつ。

他の会派も長州藩や薩摩藩や土佐藩なわけで、保守本流はさしずめ徳川幕府。

そういう中で、私は一介の素浪人・・・

なんだ、坂本竜馬じゃないか!

と妄想を膨らませていたのは内緒(笑)

幕府って最終的に大政奉還して無くなっちゃうんだよなぁとか思い、ひとりニヤニヤしていたんだけれども、そういうことは木下先生は知るよしもない・・・

閑話休題。
用意されていた席を立つと、再び井上雄一朗のところに戻り、試合を見つつ、あーでもないこーでもない、暑い!と談笑。

本部席に大会プログラムがあったので、それを見つつ、試合状況を確認し、やはり秋岡塾からも参加してるなと秋岡塾長の姿を見つけたのですが、なかなか見つけられない。

近くにいた亜衣利と由莉奈に「ユキコとサキ見なかった?」と聞くと「あっちにいた」とのこと。
その「あっち」に向かい、見つけたユキコとサキに「お父さんは?」と聞くと「どっかにいる」とのこと。

わからねぇじゃねぇかよ!

仕方ないの本部席に戻ると、岩見道場の岩見師範を発見。
「うりゃ~!」と脇腹をゴニョゴニョして挨拶に代えてみる。

「お、来てたのか?」と岩見師範。
「そうなんですよ。特等席なんですよねぇ~。座れないって話ですよ。座りますけど」と私。

岩見師範の隣りにマーシャルワールド鹿児島店の長増先生がいて、岩見師範がニコニコしつつ「彼が井上道場のブログを書いている本人ですよ」と紹介してくれます(笑)

「読者らしいよ」と岩見師範。
「見てます」と長増先生。

井上道場Tipsは地味に有名だなぁと(笑)

木下先生と岩見師範

岩見師範の迷彩短パン

木下先生と岩見師範です。
それにしても、それにしても、木下先生の変わり振りからすると岩見師範は全然変わってない。
あの頃から(笑)

まぁ、木下先生は子どもでしたからね。

ということで、子ども時代の木下先生と同じ時期の岩見師範。

木下先生の少年時代

岩見師範の二十代

岩見師範の画像は、これは夏です。夏の合同練習時ですね。
スリッパだし。

木下先生の右は高校時代の井上雄一朗。

う~ん、月日というのは恐ろしいものですね。

井上雄一朗本部席にて

みんな、おさーんだ・・・
木下先生さえ・・・

これは動画で雰囲気を。

■熊本県錬成大会スナップ(音声はありません)

まさかデジカメムービーで撮影しているとは思っていないので、Vサインな岩見師範とスマイル木下先生。これ動画ですよ、と言うと「まじかよ!」と岩見師範。木下先生は爆笑。井上雄一朗が疲れて見えるのは、実際疲れているからです。ちょっと「またサウナかよ」ってな具合で(笑)

結局、全員で本部席から観戦。

試合を見る

左から、大会ドクター、木下先生、井上雄一朗、岩見師範。木下先生の向かって右が空席ですが、そこが私の席。

私の席から左を見ると、こうなります。

黄色が井上雄一朗。と岩見師範。

木下先生から、今回は熊本県下の各会派流派からしか参加していません、と聞いていたのですが、プログラムを見てもよくわからないわけで、岩見師範に「岩見さ~ん♪この○○○ってなんですか?」とひたすら聞く私。

「○○○は何何で△△△は何何なのよ」と教えてくれる岩見師範。

ふ~ん。

岩見師範は相変わらず実直で真面目だ。
6月の誠武館主催の大会時にも、大会前の審判講習で質疑応答でキチンと質問していたもんなぁ。私の目の前で。まさか、真後ろに私がいるとは思っていないから審判講習中は最後まで気が付かなくて、試合場で他の先生たちにまざって挨拶していたら、その流れの中で「押忍、よろしくお願いします」と。

私がその場を離れずにニヤニヤしていると、

「なんだよ!おまえかよ!もう、他の先生たちと思って普通に挨拶しちゃったじゃないか!」と(笑)

「へへへ。そう思って、流れにのってきたんですよ」と私。

まぁ、恐らく一瞥以来随分と月日が経っているはずなのですが、再会がこれですもんね。
岩見師範も、もうコイツは仕方がないと(笑)

7月のJKJO九州選抜大会時にも、「岩見さ~ん♪」と叫びつつジャンプしながら抱きつきに行きましたからね(笑)

もうコイツは仕方がないと、やっぱり思ったはず。
そして、私がこうだから井上雄一朗もああだと(笑)

う~ん。あながち間違いではないと思います。押忍。
でも、井上雄一朗たちの前で普通にしていたら、もう井上雄一朗たちはやりたい放題になると思ったので、あの頃は、それでもセーブしていたんですよねぇ・・・

結局、井上雄一朗たちはちゃんと見ていたわけで、まぁ、そういう次第であります(笑)

さて。
話を戻して。

秋岡塾の秋岡塾長もやっと見つけて懇談(笑)
今年のお正月の姿を知っている秋岡塾長は「さらに、さらに痩せましたね」と。

「もうね、凄いよ。今日、井上雄一朗の体重より減ってたの確認できたから。現役通して、井上雄一朗が俺の体重を超えたことはないんだから、快挙」と私。

井上雄一朗が「もうですね、先輩、実は、やっぱり重い病気か何かで体重減るのとまんないんじゃないかって話してます」と笑いながら突っ込みます。

秋岡塾長は「あれですよ、このノウハウを整理して公開したら大反響なんじゃないですか?」と。
う~ん。それは無理かも(笑)
今回の減量の最大のポイントは「意志力」だからねぇ。
空手やってなかったら、絶対にできなかったよ~。

ってな会話をしていたり。

試合場はこんな感じです。

熱戦が繰り広げられていました

一般部クラスの試合もあり、何試合か過ぎると木下先生が「先輩、あの黄帯の子は自分とこの道場生なんですが、あの子の試合をよく見ておいてください」と言い出しました。

なんで、この道場生の時だけこんなことを言うのだろう?と思いましたが、その理由はすぐにわかりました。

彼、そうですねA君とします。A君は、ちょっと、ほんの少しだけ他の道場生とは違いました。
隣りで見ていた井上雄一朗もすぐ気が付きました。

話は変わりますが、私の身内には身体障害者がいます。母の叔母もそうで、姪っ子もそうです。肉体的な障害があるわけで、姪っ子は赤ちゃんの時に「この子は一生歩けないかもしれませんよ」とドクターに言われたことがあります。

そういう環境で育ってきたので、私は普通の健常者よりも多少は障害者に慣れています。慣れていると書くと語弊があるかもしれませんが、一緒に生活してきた中で、そういう環境でなかったら気が付かなかったであろうことに気が付くことができました。

バリアフリーとか、健常者から見ればどうでもないですが、バリアフリーでない段差は、今では装具をつけて歩くことが出来る姪っ子にとっては、とても苦痛を伴う障害物以外の何ものでもありません。

右半身に障害を抱えているので、歩く時も片腕を真上に上げてバランスを取りつつ歩きます。普通の二足歩行ができないわけです。ちょっとバランスを崩すと倒れます。右側に倒れると、右手も不自由なので、体を痛めます。右手で支えたりすることができないわけですね。

幼稚園の頃、他の障害(自閉症やダウン症等)を持つ子らと一時期一緒にいました。なので、そういう子も見慣れています。普通に元気な子どもたちです。

姪っ子が幼稚園当時、私は関東に住んでいて、帰省の時期をずらして熊本に戻ってきてたので運動会のカメラマンをやったことがあります。姉が「絶対に泣くから。ちゃんと撮影してよ」と言うのですが、なんで徒競走で泣かなきゃいけないんだと思っていました。

帰省時姪っ子は、普通クラスにいたので、健常者の仲間達と走るわけですが、よーいドン!の合図で一斉にスタートします。みんなガンガン走るわけですよ。

姪っ子はというと、独特の手を挙げた体勢で、走るというよりスキップするような感じで同じ距離を走っています。一緒にスタートした子どもたちは、とっくにゴールしているのですが、まだ半分も進んでいません。

それでも、初秋の太陽に照らされ、汗をかき、微笑みを浮かべながら楽しそうに走っているわけです。

自然と涙が出てきました。感情は変わらず、鼓動も変わらないのですが、なぜか目から涙が出てきます。

あいつは一生懸命やっている。

と感じたんでしょうねぇ。人より遅くても、順位など関係なく、ただただ運動会で走ることを、走れることを楽しんでいる。そんな風に見えました。

そういう涙は、感動だとか、悲しみだとか、笑いとかとは別の、まったくの初めての涙で、人には、こういう涙もあるんだな、と。そう思ったことを記憶しています。

なぜ、こんなことを書いているかというと、一般部クラスに出場したA君ですが、姪っ子とだぶったのです。
一生懸命戦っています。

空手の試合です。フルコンタクトの空手の試合です。ただでさえ、きつい空手ですが、相手から殴られ、蹴られる試合です。相手の突きや蹴りを全部受けることはできないわけで、肉体に苦痛を伴う競技であります。

木下先生曰く「彼は、人が3回で覚えることが1年かかります」と。この意味は、そういう意味です。

そのA君は、突きでボディを効かされているにもかかわらず、最後まで倒れることなく、場外に押し出されては、歯を食いしばり、天を見上げ、相手とは違う何かと確かに戦っている姿を見せ、最後の最後まで自分に負けない試合をしていました。

隣の木下先生も激を飛ばします。

「A!声出せ!声を出せ!」

その木下先生の瞳には涙が浮かび、やがてそれは頬を伝って落ちていました。

この涙の意味は、この会場に大勢人はいるけれど、少なくとも、木下先生以外には私しか理解できまい、と思った次第です。

そして、このA君の戦っている相手ではない何か、それを理解できるのは、言葉は悪いかもしれませんが空手をやったものでしたかわからないな、とも。

殴られる、蹴られる痛みや恐怖感、緊張による疲労困憊、肉体を酷使することによる苦痛、これは試合をやったことがある人しかわからない独特のものだ、と。

練習だけ、スパーリングだけ、の空手を囓った人では到底理解できない混合された厳しさのことです。じゃあ、試合をやったことがない人はダメなのか?って話ですが、是非は別にして「壁」があるのは確かだと思います。

壮年部(ビジネスマンクラス)の道場生とは次元の違う話を書いています。
乱筆乱文ゆえ、語弊のある書き方かもしれませんが、真意は伝わると思っています。

ハンディを背負った人でさえ、これだけのことをやる。
残念なことに試合には負けましたが、勝敗を超越した、獅子奮迅なA君の姿は、私の心に深く残りました。

勝負というのは非情です。ハンディがあろうが、怪我をしていようが、そういのは関係ありません。だから勝負なのです。そして、その勝負の場に出てくるということは、いい訳は一切通じないわけで、私は、これは井上雄一朗もそうですが、試合場では絶対にマイナスになるような事はいいません。

よく試合会場で激高して道場生を叱ったりしている先生方がいらっしゃいますが、何か勘違いされているんじゃなかろうか?と。練習でさんざん厳しいことやってきたんでしょ、ならば試合会場では、「誉めてあげるべき」と思っています。
結果は問わず、です。

言いたい事があるなら、翌日に言えよ!と。
そう思っています。

あんたの目には、根性なしに見えたかもしれないが、やってる本人は、あの試合場で色々なものと戦いながら一生懸命やってるんだ!と、こっちが言いたくなります。

試合会場でそういう先生を見かけたら、その先生の目は「ふしあな」と思って間違いないです。はい。

閑話休題。
木下先生は後日「道場に来てください。見に来てください」と言っていたのは、A君を見て欲しかったのです。と語っていました。

見ました。見ましたよ。木下先生。
試合でしたが、A君の姿はしっかりと脳裏に焼き付けました。

他の出場選手には大変失礼かもしれませんが、このA君の姿を見れただけで、今日やってきた甲斐があったなぁと。

人は人でしか学べません。
偉人からも学ぶことは多いのですが、在野の名もなき人からも学ぶべき点は大きいわけで、そういう意味では、私は、この大会で得るものがあり、大変うれしく思っています。

高村光太郎の詩に「道程」という作品があります。
確か「ぼくの前に道はない ぼくの後に道はできる」ってな詩だったと思います。

あえて書くならば、木下先生ものA君の前にも道はあるわけで、それは不確実で無色透明で、脆く、自分の後にある道とは違うかもしれませんが、確かにあるな、と思うわけです。

イバラの道で、そこには困難や乗り越えなければならない起伏が多くあるのは確かで、それでも歩いていく道があるなぁと。

高村光太郎は詩集「智恵子抄」は有名で、これはその一編である「レモン哀歌」が国語の教科書に載っているからだと思いますが、この「レモン哀歌」ってのは、全然意味は違いますが、私はA君をイメージしてしまいます。

高村光太郎の妻、高村智恵子との日々を綴ったピュアで透明で溢れる愛の詩集なのですが、ご存じのように高村智恵子は精神に異常をきたし、病床で生涯を終えます。高村光太郎は、それでも最後まで献身的な看病をし、智恵子亡き後は抜け殻みたいになるのですが、世に「智恵子抄」という作品を残します。

「レモン哀歌」は、その智恵子の最後を描写した詩です。
トパーズ色というのは、「レモン哀歌」で覚えました。トパーズとは宝石のひとつで、黄色い色をしています。なので、宝石のトパーズみたいな色を「トパーズ色」と表現しているわけですが、レモンも黄色ですね。

智恵子にレモンを与えると、そのレモンを囓ります。レモンは酸っぱいですね。その酸っぱさで一瞬正気に戻り、優しく微笑むと、それっきり生涯を閉じる描写がしてあります。

レモンの酸っぱさで正気に戻ったのは、光太郎の錯覚と思うのですが、光太郎には、智恵子のその微笑みが、在りし日の智恵子の微笑みと同じで、光太郎の中では、嗚呼、あの頃の微笑みだ、となったに違いないと解釈しています。

智恵子亡きあと、その遺影の前にレモンを置くのですが「レモン哀歌」の最後は「涼しく光るレモンを今日も置こう」と結んであります。

智恵子を在りし日の智恵子に戻してくれたレモンを置くわけですね。
以上は私の解釈なのですが、高村光太郎のピュアな精神と描写力に唸った記憶があります。

木下先生もA君も、高村智恵子とは違い、これから長い年月生きていきます。それは決して順風満帆な道ではなく、イバラの道かもしれないけれど、木下先生のレモンはA君であり、A君のレモンは木下先生であるな、と。

今回の大会のいち風景を書いています。
他に出場した選手も頑張っていました。なので、是非を書いているのではなく、私の私による私のための随筆として、そのいち風景を書いています。

木下先生、あの時空手辞めなくてよかったね。

さてさて。
長くなりましたが、まだ続きがあります。

木下先生のオヤジ殿とも再会しました。一別以来幾星霜・・・
木下先生が「オヤジ来たので会ってください」と。

少し年齢を重ねただけで、あの当時のまま。

木下先生が「オヤジ、老けたでしょう?」と言うのに頷きながらも、同じ時間私も君も過ごしたわけで、お互い様だな、と思ったり。

私は現役時代に大変お世話になったのですが、不義理しっぱなしで、御健壮なお姿を拝見して喜んでいる次第であります。

そういえば、大分で試合があった時、私は出場し井上雄一朗はセコンドとして大分入りしていて、当時の木下先生は確か空手を始めて間もない頃。

私は出るし、井上雄一朗らもセコンドで行くので自分も応援に行きたいとオヤジ殿に頼んで大分に行ったそうです。

が、試合会場がわからない(笑)

結局、大分まで行って「うどん」を食べて帰ってきました。と今でも笑いながら話します。
ちなみに、その大会のビデオには、岩見道場の岩見師範と井上雄一朗がアリーナ席でヒソヒソ話しをする光景が映っています。

私も道着姿でアリーナ席に座っているところを見ると、準決勝前かと思いますが、今度画像付きで紹介できればと思います。
大分は色々な思い出があるなぁ・・・

さてさてさて。
木下先生のオヤジ殿が登場したということは、オフクロ様も登場するわけで、私は初見になります。

熊本市内で美味しい美味しい「からあげ屋さん」をやってます。
無茶苦茶旨いですよ。この唐揚げ。

そして、今大会のお弁当は、木下先生オフクロ様の唐揚げ弁当!

カラアゲ弁当

どれくらい旨いかというと、まさに「オフクロの味」。
運動会のお昼にお弁当を食べますが、その時に食べたカラアゲの味です。

これで、どれくらい旨いかわかると思います(笑)

このカラアゲ屋さんは、グルメ情報として別途記事にして紹介します。
いや~旨かったなぁ。自宅に戻って食べたのですが、ご飯おかわりしましたよ(笑)

旨いカラアゲ弁当!
(クリックでカラアゲを拡大表示します)

結局グルメネタかよ!

とお思いでしょうけど、いや、これは普通に旨いカラアゲだったの、ちょっと書きたかったのです。
はい。

お昼になり、休憩です。
私事があり、ここで戻ることを木下先生に告げ会場を後にしました。

木下先生以下、協力道場及びスタッフの皆様お疲れさまでした。

あ、岩見師範にも(笑)
んじゃ、お肉よろしくです~って。

会場から一歩外に出ると、蝉しぐれ。
真夏の真昼の日差しが眩しくて強烈です。

駐車場に戻ると「ちょっとドアを全開しましょう」と井上雄一朗。
車の中の熱気を外にだしましょう、という意味です。

バイスクル井上!

何をやっているんだろうと思いましたが、競輪選手、自転車競技の練習風景の真似をしている井上雄一朗。
車のバックにローラーが付いていて、こうやって無風状態で走り込みの練習やってますよね、自転車競技。

ということらしいです(笑)

真面目に書いてきましたが、やはり井上道場Tipsは、こういうオチで終わります。

今日も暑いですね。


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