泥のように眠ることと他山の石

慣用句として、ぐっすりと完璧に眠る言葉として「泥のように眠る」というものがありますが、昨夜は、まさに泥のように眠りました。

井上雄一朗と私・・・
もう死んだんじゃないかと思うくらい完璧な睡眠でしたね。がっつりと、しっとりと。

井上雄一朗の場合は、早起き野球に参加して、そのまま道場の所用を済ませ少年部クラス、一般部クラスと指導して昨日は早朝から夜中までずっと動き詰めで、私の場合も、一昨日からなんやかやとやっていて昨日は少年部クラスの指導補助やって一般部クラス時は自分の稽古やって、これが調子こいてやっていたので後半フラフラ(笑)

昨日の代継橋道場で自主トレまで行っていた方は、ソファに放心状態で座って自主トレを眺めていた私がいたのを覚えていると思いますが、半分意識とんでました。

あ、昨日の早起き野球なんですが、勝ったそうです。
これで、水前寺球場行きですかね。

昨日の記事で井上雄一朗は四番打者!とか書いていましたが、昨日はベンチウォーマーだったというのは内緒。

一般部クラス稽古後、幾人かの道場生が残って自主トレをやっていたのですが、大会に出場した選手がいたり、女子部がいたり(ハリウッドスター)、壮年部がいたりと、選手コースやアドバンスクラスというよりも、さらに百花繚乱な趣きがあり、意識は半分飛んでいたんですが、みんな頑張るなぁと。

大会前の選手コースとかだと、もっと高レベルでキリキリするような緊張感というか悲壮感すらある雰囲気なんですが、壮年部も女子部も加わっての自主トレだとですね、特に壮年部なんですが、その頑張りに見ているこちらが勇気をもらうようです。なかなかできないですよ。試合を目指している道場生だと普通でしょうけど、自分自身の鍛錬のためにそういう道場生にまざって稽古しているわけですから。

半分意識はとびつつも、これは「他山の石」だなと。

もともと「他山の石」は「他山の石以て玉を攻むべし」という言葉からきていたと記憶するのですが、大辞林によると意味は「よその山から出た質の悪い石でも、自分の玉を磨くのに役立てることができる。転じて、他人の誤った言行でも、自分の修養の助けとなるということ」で、そこから「他山の石」すなわち「よその山から出た石。転じて、自分の修養の助けとなる他人の言行」になったわけですが、この自主トレの風景の場合、「他人の誤った言動」ではないですね。

純粋に「自分の修養の助けとなる他人の言行」になるかと思います。

井上道場Tipsにしては、ちとアカデミックなことを書いているな、なんて思ったりしちゃったりしていますが、あの風景を見た素直な感想です。

ある日の自主トレの風景1

ある日の自主トレの風景2

画像手前のオレンジ帯は河原さん。壮年部というのが失礼になるくらいの方ですね。ハリウッドスターと組んでいる津江さんも年齢的には壮年部でペガサスカップにも壮年部の部に出場した方です。

上手い下手でいったら、まだまだ下手ですよ。しかしながら、その未熟さをもってしても有り余る情熱と稽古にむかう姿勢は、これは他山の石以外の何ものでもありません。

強さにも色々ありますが、こういう熱意であるとか頑張りであるとかの強さが一番なんじゃないかと思います。

ちょっと意識フラフラでしたが感動したので記事にしています。

それはそうと、みおちゃん、朝早すぎ。
昨夜は泥のように眠ったので、頑張って早起きして記事を投稿してみましたが、昨日に続き今日もみおちゃんに負けました。

明日は、勝つ!


泥のように眠ることと他山の石” へのコメントが 5 点あります

  1. あああ、勘違いしてました。
    みおちゃんと思っていた人は別人でした。

    ということで、今日は勝利ですね。

    明日も勝つ!
    明後日も勝つ!
    明明後日も勝つ!

    そろそろ、みおちゃんにも執筆してもらいます。

    らららっって何だ!(井上雄一朗)

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