ソフトバレーボールと食べ物の話!の巻

今日は武蔵ヶ丘道場(南ヶ丘小学校)の稽古日。

過去記事でも書いていますが、南ヶ丘小学校は体育館の半分をお借りし稽古しています。残り半分はソフトバレーを楽しむ方たちが利用しています。

ここ数日、寒の戻りではないですが寒い日が続き、井上道場稽古場所で一番寒い南ヶ丘小学校も先月並みの寒さ。南ヶ丘小学校に到着し着替え、ストレッチやシャドーで体を暖めていた井上雄一朗と私ですが、井上雄一朗が突然ソフトバレーの若者に声をかけていました。

ひとりの若者しかいなかったので、何か世間話でもしているのかなぁと思っていたら、突然、井上雄一朗のバレー教室が始まりました(笑)

井上雄一朗、バレーボールやバトミントンが得意なんですよね。

井上雄一朗自身のアップもかねていたんでしょうが、若者とペアになり、対人(ひとりがアタック、ひとりがレシーブする二人一組のバレーボールの練習のひとつ)なんか始めてます(笑)

しまいには、「先輩、サーブ打ってくれますか?」と私も誘う始末。

私もバレーボール一家(父と姉がバレーボール選手)に育ったので喜んで参加です。

ソフトバレーなんで柔らかいボールなんですが、アンダーでサーブを打つと、若者がレシーブをし、井上雄一朗がトスを上げます。

ああ、若者のアタックの練習なわけね。

この若者が経験者で鋭いアタックを打つんですよ。
ソフトバレーだと物足りないくらい。

アタックに失敗すると井上雄一朗が「へいへ~い♪」と声を出します。

そうしている間に道場生が集まってきたので「おまえらもコートに入れ!」とアップがてらソフトバレーボール大会の始まり(笑)

少年部のママさんたちも参加します。

ユウキママがうまいんですよ。ユウスケママは私のコートに入ったので、私のコートには少年部を入れて8人くらいいます(笑)

でも、バレーボールをよく知らない子たちなので右往左往。
ユウスケママがレシーブしたボールがユウスケ方面にいったので「つなぐか!?」と思ったら、ユウスケの顔面直撃・・・
ナイスコンビネーション(笑)

なにやってんだよ!と笑いながら声を出す井上雄一朗・・・

練習時間になったので、若者に「ありがとうございました」と声をかけて稽古場所に移動。楽しい汗がかけたので、いいウォーミングアップになりました。

そして稽古開始。稽古終了。

稽古後に少年部のママさんたちと雑談しましたが、例のように例の如く話題は「食べもの」(笑)

なぜか、食べものの話になっちゃうんですよねぇ。

大食は強運なり、とよく書きますが「すべての道は胃を通る」ともよく書き、これは全文だと「心に通ずる全ての道は胃を通る」になります。

今日は別の言葉を書きましょう。

「食の事を考えない人は、頭のことも考えない」

という言葉があります。サミュエル・ジョンソンというイギリスの文学者でシェイクスピア研究家だったと思うのですが、18世紀の偉い人の言葉。

この言葉の意味、解釈としては、「自分の食事に気を配らないものが、それ以外のなんらかのものに気を配るとは思えない」や「食べ物に気を使わない人間は他の人にも気を使わない人間だ」というのがあります。

なかなか意味深な言葉であります。

生きるということは「食べる」ということで、子孫繁栄とか色々ありますが、少なくとも「食べる」ということは本能であり大切なことでもあります。

だから、井上道場Tipsでは「食べる」ネタが多い(笑)

すなわち、「生きる」ことを書いているわけですね。

んなぁこたぁないだろ!

とか自分で思いますが、まぁ、「食べる」ということは、それくらい「生きる」という切実な問題と切っても切れない関係にあるわけで、「楽しく生きる」ということは「楽しく食べる」にも通じるもんだな、と思ったりしています。

空手の道場のサイトで、ブログもあり、色々書いていますが、結局「舌平目」や「豚軟骨」などのキーワードで訪れる人も多く、空手の効果や道場生の必死な姿よりも、「食べる」ということが「生きる」ということに関しては、説得力があるのかも?なんて思ったりします。

「食べる」ことは普遍的なことで、国籍文化言葉などを越え、人間が生物である以上避けては通れないものであることを考えると、空手なんかよりも崇高であるわけで、「たかが」と思ってはいけないわけですね。

そして、毎日食事できることに感謝しないといけないですね。

我々の父親や母親を含めた上の世代は、「食べることに窮した時代」を経験していて、それはすなわち「生きることに窮した時代」なわけですが、それを考えると現代は恵まれているわけで、パパだろうがママだろうが、食事を作って出してくれることに感謝しなきゃ、と思うわけです。

つうか、食べることが当たり前な幸せに感謝、ですかね。

日本では、食べる前に「いただきます」。食べたあとに「ごちそうさまでした」。と言います。

すべての人に感謝の意を捧げる言葉ですね。食事を作ってくれた人、その材料を生産してくれた人、そして、魚なら魚、肉なら肉、野菜なら野菜と、食べるもの自体への感謝の言葉。

というようなことを考えていると、あながち稽古後に「食べ物の話」で盛り上がることも、Tipsで「食べ物」ネタばかりになることも無意味なことじゃないよな、と思えたり。

まぁ、そんな感じです。

稽古の帰り際に少年部ママから「今日の夕ご飯はなんですか?」と聞かれました。

「わかんないです」と答えましたが、井上雄一朗の友人と会食したので、久々に外食でしたよ。

「食べる」ことは「生きる」ことです。はい。


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