ケイゴは武蔵ヶ丘道場所属の道場生ですが、月曜日の特練や代継橋道場にも出稽古に来る、ハリウッドスターや中学生になったユウスケを除くと、井上道場で一番稽古している道場生でもあります。
昨年まで、熊本弁で言うところの「やるばなし」なケイゴでしたが、なぜか夏の終わりくらいから稽古に熱心になり、「昇級審査で色帯を取得するのに必死なのかな?」くらいに思っていたのですが、あれからずっとモチベーションを維持しています。
おかしい(笑)
あのケイゴが・・・
そんなケイゴですが、昔から優しいやつでもあります。
ケイゴは幼稚園から空手を始めました。私が初めて見たのは小学校に上がってすぐでしたが、とにかくよく動き回る子で、準備運動の時から光速で動き回り、「なんつうやつだ」と爆笑していました。
一学年上に「ギャング」ことアイリがいて、アイリの大会前などはミット持ちやスパーリングパートナーをしてくれて、アイリにボコボコにされても「これはアイリの練習」というのを自覚していて、ボディもらって効いているにもかかわらず「大丈夫だから、攻めてきていい」と、声なんで出るわけでないのでジェスチャーでアイリに示し、もちろんアイリですから、手を抜かず、怒濤の攻めをするわけです(笑)
「ケイゴ凄いなぁ。練習の意味わかってる」と呟くと、井上雄一朗は「あいつ効かされても、そこで終わるとアイリの練習にならないから最後まで付き合うんですよ」と。
そんなケイゴでしたが、練習すれば上手くもなるわけで、さすがに最近ではアイリも昔みたいにはいかない。
月曜日の練習でも上級生、格上とスパーリングし、いいのもらうと「練習が足りない」と帰路の途中で話すそうです。
いや、それは実力差だから(笑)
その思考が凄いな、と。
以前から「その優しさ」を垣間見ることが出来たケイゴですが、5月23日の代継橋道場での稽古中にも見ることができました。
5月23日の代継橋道場稽古については「2009.05.24 じゃんけん補強は大騒ぎ!の巻」で大盛り上がりな「じゃんけん補強」として記事にしていますが、その前にケイゴの優しさを垣間見る場面がありました。
ケイゴには三歳年下の弟がいます。
タクミ。
通称「たっくん」。
ケイゴと同じように年中さんから空手を始め、新年度から年長さんになりましたが、武蔵ヶ丘道場には二人揃って大きな声で「オス!」と稽古にきます。
あの頃とケイゴとまったく同じで、とにかく「やるばなし」なタクミ。
タクミが入門してから、さらにケイゴが変わり、整列時、タクミが列を乱していると「ここじゃない、あっち」とケイゴが指示しているのを見た時は井上雄一朗と涙が出るほど笑いました(笑)
「あ、あ、あのケイゴが・・・指示してる!」
ついこの間まで、ケイゴがそう言われていたじゃん!
これは革命的な、衝撃的なシーンでした(笑)
そんなこんなで、タクミはイケイケドンドンで、とにかく動くしヤンチャです。そのタクミをケイゴがしっかりと見守り、色々教え、ある意味自分の背中を見せて引っ張る姿を見ると、
人というのは、成長するもんだなぁ・・・
と感慨深く、「あのケイゴがなぁ・・・:」と涙です。
三歳離れているので、体格的にも差があり、ケイゴはタクミがどんなに挑んできても、ヤンチャしても、されるがまま。
絶対に手を出すこともなく、うざったくあしらうこともありません。
好きなようにさせています。
はて?
どこかで覚えがあるなぁ・・・
なんだろう?
デ・ジャヴです。
なんだろう・・・
あ!
そう、猿の群れ(笑)
猿は群れて生活します。その頂点にいるのは「ボス猿」。
小猿がイタズラしても、ボス猿は小猿の好きなようにさせておきますね。
それと同じです(笑)
絶対的な差があるので、ボス猿は好きなようにさせておきます。それと同じなケイゴ。
代継橋道場の小休止中にタクミがケイゴにちょっかいを出していましたが、ケイゴは好きなようにさせていて、その場面がたまたま動画に映っていたので、井上雄一朗曰く「ボス猿と同じですね。好きなようにさせてる」。
兄弟ですからね。
兄弟喧嘩って、そりゃ殺伐としたものなのですが、特に男兄弟、ケイゴとタクミに関しては、ボス猿ケイゴがいるので、その優しさに包まれてタクミは延び延びとしています。
そして、タクミはのぼせるかというとそうでもなく、このあたりは、この兄弟の凄みでもあります。
ケイゴあってのタクミだなぁ・・・
とか一瞬思うのですが、案外タクミの方がしっかりしているところもあって、「まぁ、ケイゴだし」となる(笑)
そんなこんなで、ボス猿ケイゴの一面など。
この場面はケイゴの優しさが垣間見れて面白かったですねぇ。
画像だけではなく、動画もあります(笑)
■動画:ボス猿ケイゴ
■携帯電話から見る場合は、ここをクリックする。
昨日は武蔵ヶ丘道場(南ヶ丘小学校)の稽古日でした。もちろん、ケイゴとタクミも元気よく稽古に来ていましたが、稽古が終わり家に着くと、ふと井上雄一朗が呟きました。
「今日、ケイゴを前に立たせましたが、あいつの数年後がイメージとして頭に浮かびました」
と。
「前に立つかもしれないというのがあったので、ケイゴは一生懸命覚えてきたんだろうねぇ。わかるもん」と答えると、「アイツの一生懸命さは見えます」と。
ケイゴは大将の器。
日露戦争というのがありまして、有名なのは東郷平八郎元帥の連合艦隊がバルチック艦隊を完全撃破した日本海海戦ですが、二百三高地で有名な地上戦もあって、現地の総司令部として満州軍総司令部がおかれました。
総司令官は大山巌。
西郷隆盛のイトコで薩摩の人。
総大将ですね。
総参謀長は、あの児玉源太郎。
無茶苦茶頭の切れる人で、日露戦争開戦前は内務大臣でしたが、陸軍参謀次長が死去し、時の総参謀長大山巌から乞われ後任を受けました。これは降格人事。日本陸軍解体の昭和20年まで、降格人事を受けたのは児玉源太郎ただ一人です。
そして、児玉源太郎といえば、熊本とも縁がありますね。
西南戦争。
日本最後の内乱で、熊本城にあった熊本鎮台(陸軍の基地みたいなもん)の若手参謀としていました。当時少佐だったかなぁ。
薩摩軍が攻めてきた時に東京から「児玉少佐ハ無事ナリヤ」と電報が打たれたのは有名。当時24歳ですよ。どれだけ中央から期待されてかがわかります。
熊本鎮台の司令官は谷干城。土佐の人。坂本竜馬の子分みたいな人かな。確か坂本竜馬が近江屋で暗殺された時、現場にかけつけたひとりで、「これは新選組の仕業だ!」と激高して、新選組を襲った熱い人。
『るろうに剣心』って漫画とアニメありますが、その主人公のひとりに新選組三番隊組長斉藤一が出てきますが、確かその斉藤一らを襲撃したのかな?
あれは海援隊が紀州藩と揉めた時の話かな?
谷干城は生涯かけて竜馬暗殺犯を追った人で、新選組局長近藤勇は流山で捕らわれましたが、当時大名格で、切腹が妥当なのですが斬首・獄門という惨刑に処せられました。そうしたのは新選組が暗殺犯とした谷干城の判断ですね。
とにもかくにも谷干城って人は、幕末時代の写真が残っていますが、無茶苦茶気合いの入った志士のひとりでネットでも検索すると当時の画像がヒットするのですが、頭巾かぶって口を真一文字に結び日本刀を携えている姿は迫力満点です。
その下に児玉源太郎がいたわけで、熊本城に籠城して、熊本城は西南戦争で炎上するのですが、この炎上は児玉源太郎の作戦とも言われています。
なんの話だっけ?
そうそう、こういう頭の切れる人は参謀役、新選組でいうと副長の土方歳三みたいなポジションが実力を発揮でき、つまり有能なるナンバー2なのですが、大将ってのは大山巌みたいに「デン」としている人がいいわけです。
日露戦争時も、御輿として徹底し、実務は児玉源太郎に全件委任していた大山巌。自分は責任だけとるというスタンスで児玉源太郎もこういう大将がいたので動きやすかったと思います。
大将がちまちま動き回る組織でうまく事が運んだって話きいたことありません。
そしてケイゴは、大将タイプ(笑)
細かいケイゴって想像つかないですもんね。
と、途中から何の話かわからなくなった記事を終わります。
つまり、ケイゴはボス猿だ!
ということで。
<おまけ>
ボス猿と子猿。
2009.05.22武蔵ヶ丘道場にて。