国道57号線、通称東バイパスに「馬力屋」という名前のラーメン屋さんがあります。
熊本市内方面から阿蘇方面に東バイパスを進むと、熊本インターを過ぎた右側になります。「神園」と書いて「こうぞの」と読む地域になりますが、熊本県民運動公園の手前です。
この「馬力屋」が、菊陽町の方に店舗を移転するそうで、この神園店は今月16日までの営業。なので、13日の金曜日、武蔵ヶ丘道場の練習後に食べに行きました。
馬力屋のラーメンは、「家系」と呼ばれる横浜ラーメン系列のお味で、太麺に醤油豚骨なスープ、それに「ほうれん草」のトッピングが特徴です。
横浜ラーメンの家系ラーメンは、「ほうれん草」の有無で確認できます。あと、海苔。
こうみえて、わたし、元横浜市民です(笑)
二十世紀末頃までは横浜市民でした。
なので、家系ラーメンな横浜ラーメンは食べ尽くしてきたわけで、熊本に戻って家系ラーメンが食べられることにビックリしたのは内緒ではありません。
元祖吉村家とかでガツガツ食べていたあの頃が懐かしい・・・
そうそう、
横浜ラーメンの「家系」ラーメンは、ほぼ、「○○屋」という名前です。
これは、総本山な吉村「家」からきています。
そんなことはどうでもよくて、
リュウコジパパやママも元横浜市民で、わたしが乗っていた京急に同じように乗っていたわけで、家系ラーメンには懐かしさを感じるお二人でもあります。
そして、神園に店舗があるので、リュウコジパパやママ、そしてわたしは気軽に食べに行けたわけです。
それが移転!
それも菊陽といいつつ、ほぼ大津!
遠くなるじゃん!
また、
馬力屋では店員が「よろしく!」「いくぜ!」「せいや!」という掛け声をかけていて、「よろしく!」と「いくぜ!」はまだなんとかなるのですが、
「せいや!」
を聞くと、1980年代に熊本で極真空手を学んだ層だと、ちょっと、ニヤリとするリアクションをするわけです。
わかる人にしかわかりませんが(笑)
なので、
井上雄一朗に、「馬力屋な、せいや!って掛け声連発するんだよ。死ぬよ(笑)」と何度も話してきました。
それは是非聞きたい!
ということで、店舗移転前に食べに行ったわけです。
なんやかんやで、
武蔵ヶ丘道場練習後、15名で食べに行きました(笑)
リュウノスケとかコジローとか数え切れないほど食べに来ているらしく、ユキジもそうですが、
もうハイテンション(笑)
ぶっちぎりチャーシューを食べようと思っていましたが、売り切れでした。
単品のぶっちぎりチャーシューも売り切れ。
なおかつ、馬力めしも売り切れ。
なので、
普通のラーメンを注文。
なお、馬力屋は、並盛、中盛、大盛で値段が同じなので大盛を注文しています。
定番なほうれん草と海苔は確実に存在しています(笑)
そしてチャーシューですが、なんか、いつもより厚切りだったような気がする・・・
そして食べる。
井上雄一朗とわたしはカウンター席。あとユリとヒロトパパも。
テーブルには、リュウコジパパ、リュウノスケ、コジロー、ユキジ、ヒロト、別のテーブルにユウスケ、リュウコジママ、シンタロウ、シンタロウママ、さらに別のテーブルにゲンキとゲンキパパ。
これで15名(笑)
リュウコジパパはギョウザも注文されていて、わたし、ここのギョウザを食べたことなかったので、味を聞いたのですが、
聞いていないリュウコジママもパパと声を揃えて、
「普通です」
とのことでした(笑)
ってな感じで、移転前最後の馬力屋でのラーメンを食べ終わりました。
元横浜市民からすると、
「これ、家系か?」
と首を傾げることもあるのですが、リュウコジパパによると、その日によって、また作るお店の人によって、味がしょっちゅう変わるそうです。
なので、当たりの日と外れの日があるそうで。
この日は「外れの日」と言っていたリュウコジパパ(笑)
でも、
まぁ、
おいしゅうございました。
わたし太麺大好きなので、なので、横浜時代、熊本つうか九州ネイティブ向けの本物の豚骨ラーメンを食べたくて(博多ラーメンのような、ちまちました細麺ではないやつ)、長崎出身の同僚と随分と横浜探索したのですが、結局見つけることができなくて、それで仕方なく家系ラーメンばかり食べていたのですが、
最終的には、「これはこれでありだな」と好きになりました(笑)
菊陽つうか大津に移転は遠くなるので悲しいです。
デ、
最後なんですが、
食べ終わり、少年部ははしゃぎ回るわけですが、
コジローは転けて膝を強打して苦悶の表情でした(笑)
オチはおまえかい!
痛みを堪えて泣くのを我慢している苦悶の表情なコジローの後ろに、涼しげな顔をしたヒロトがいて、
もうシュール!
ってなことで。